年明けのエリックネタ。 ― 2006年01月01日
さて、新年初っぱなをどのネタで始めるかと考えていたところ、昨年発売のエリック・ジョンソンの「Bloom」が、グラミーのポップ・インストゥルメント部門にノミネートされたという情報をキャッチ。で、これを新年一番ネタにすることにした。
グラミーは今回で4度目のノミネートとなる。ファンとしてはとって欲しいが、正直このアルバム、長い上に、後半静かな曲が多いので、とても眠くなる。曲を多く収録できるのは、喜ばしいことだが、体がLPサイズになじんでいるので、これに限らず最近のアルバムは後半の印象が薄い。今の世代はそんなこと無いんだろうか?でも、前半は素晴らしい出来!
年末に、心斎橋の三木楽器に行ったら、洋書楽譜のバーゲンをやっていた。定価に関わらず1050円均一!エリック・ジョンソンの楽譜を2冊買ったが、いくら楽譜があろうが、音源あろうが、ビデオがあろうが、かぶりつきで見ようが、弾けない物は弾けない!ああ、一曲でも弾ける日が来るのであろうか・・・。
今年の目標!簡単なエリックの曲を一曲弾けるようにする!
セクシー大根足 ― 2006年01月05日

今年の正月は、まさに寝正月だった。子供と一緒に昼寝したというのが原因だが、まあ、毎日3時間ほど昼寝したな。
元日の夜は、うちの実家で弟家族も集まり食事。2日には妻の実家で、義兄家族と一緒にすき焼き。3日の夜は妻の実家からもらったカニで鍋。4日は同じくイクラ丼。おせちは、年末に妻の実家から強奪した物。朝はもちろん、白味噌の雑煮。3日目には、妻が飽きたからと勝手にやめたが、雑煮好きな私は、餅を実家からもらい次の日に作らせる。と、ほとんどよそからもらった物ばかり。外出は近所の神社への初詣のみ。
クリスマス・ケーキから正月の食っちゃ寝で、2日目にはズボンがきつくなってきた。明日仕事始め。気持ちの引き締めと共に、体も引き締めなくっちゃ。
新年会 ― 2006年01月10日
Brendaさんの隣、ちらさんの向かいに座る。知った顔ぶればかりだが、一人だけ見知らぬ美青年が。話題は最初、そちらへ。皆、あれは誰?ロジャバリンさんの向かいに座っているから、息子さん?いや、もっと小さいはずだから、彼氏??それにしては、もったいなさ過ぎるから違うな。など勝手なことを言い合う。
ワインは赤と白、料理も唐揚げやサラダ、ピザ、おにぎりなどが出てくる。厚めに切ったローストビーフは、ジューシーでおいしかった。グレービーソースが付けば、完璧だったのがちょっと悔やまれる。ワインは普通かな。ちょっと軽すぎて、私の好みではなかった。自分のテーブルのワインを飲み干し、隣のテーブルのもなくなって、ふと向こうのテーブルを見ると、我々のとは違うボルドータイプのボトルが。すかさず席移動でそれをもらうと、おいしい!重めで香りもあり好みだ。こんなのあるんだったら、同じのばっかりじゃなく、2本目からこっち出してくれれば良かったのに。
席を移ると、近くに話題の青年がいた。話をしてみると、ロジャバリンさんのblogで紹介されていた、画家の青年だった。彼の作品や技法、ふだんの生活やロジャバリンさんの秘密(嘘)など、色々話をした。基礎をちゃんとやらずに、華やかな部分を見ている人が多すぎるとか、とてもしっかりした考えの好青年だった。
その後えべっさんへ行ったが、夜店は全て閉まっていて、寂しいお参りになった。でも、空いていたのでゆっくり出来たけど。商売繁盛無くして、遊びもないのでお願いし、その後再び居酒屋へ行き解散。今年は色々変化の年になりそうだ。
平城宮 ― 2006年01月11日

年明けから、子供二人がずっと風邪気味で、鼻タラタラだった。8日に行われた新年会もパスして、3連休の2日間を休養に当てたが、そのかいあって、ちょっとましになった。せっかくの連休をずっと家にいるのは嫌と言うことで、寒さもゆるんだので奈良方面へドライブに行った。そう言えば、去年も同じ時に奈良公園へ行ったなあ。娘は、初めて間近に見る鹿にもビビル事無く触りに行ってた。ただ、その中の一匹が、相手が子供だからか威嚇してきたので、「チカ、パクってかむな〜。」って、ちょっと警戒してたかな。
で、今回は奈良公園へは行かずに、西大寺横に広がる平城宮跡に行ってきた。な〜んにもないけど、走り回るにはちょうどいい。ボールや凧などを持っていけば良かったのだが、行き先決めずに出たので、なんにも無し。それでも、落ち葉をまき散らして遊んだり、小さな山に登ったり、植え込みでかくれんぼをしたりして、充分遊べた。
しかし、ここ広い。とっても気持ちいい。まあ、その代わりに、周りの道路は渋滞してるけど。でも、昔は、大部分の人が、この宮廷内を歩いて移動していたと思うと、それも小さな事のように思えてくる。こんな広い土地を、そのまま残している奈良はすごい。ぜひそのまま残して置いて欲しい。でも、広すぎたのか、近鉄が中を横切っているのは???だぞ、奈良。
遊ぶには、とっても気持ちいいところだが、ここでも犬の散歩に来た奴らが、あちこちで糞をそのままにしている。広い分だけ、気になりにくいのだろうか。次々と犬の散歩に訪れる人々の手には、糞を始末する袋など、誰一人として持っていなかった。この辺のモラルの低さは、ちょっとがっかり。
でも、のんびり過ごすにはいいところなので、ボ〜ッとしたい方もボ〜ッとした方もぜひどうぞ。
BBAプロデューサーナイト ― 2006年01月16日

今回はボン・ジョビで始まりジャーニー〜クイーン〜TOTO、そしてトリがフォリナー。え?逆じゃないの?って言う、プロデューサー権限丸出しの普通では考えられない順番。それもフォリナー6曲。こんなイベント、日本中探しても無い。だが、そこがプロデューサー・ナイトのいいところ。
オープニング"Living On A Prayer"では、Vo.ヘルスケくんにB.キヨタカくん、そしてG.に我がFOREFINGERベースのshinちゃんにDr.がえりたん♪と言う、セッションならでわの組み合わせ。shinちゃんはクラプトンのブラッキーという私よりいいギターで登場。イントロの「ンワンワ〜」をエフェクトで演奏という凝りようだった。伸びやかなハイ・トーンのヘルスケくんのヴォーカルに、安定したプレイのキヨタカくんコンビ。えりたん♪も堂々のプレイだった。でも、ヘルスケくん、RAGに続きここでも歌詞をすっ飛ばしてして、ご愛敬。物忘れするには、あまりに若すぎるぞ。(; ̄▽ ̄)ノ彡☆
2曲目以降各パートがTOMさん、Junさん、佐藤☆様、MFCオーナーと曲によって代わり、次にジャーニー特集。ここではジェフ・ポーカロ命のkirryさん、B.は代打でサモさん、Vo.は引き続きヘルスケくん、key. はえりたん♪とJunさん、そして私がG.。ここでは初期のニール・ショーンと言うことで、みょうがさんからのプレゼント、アフロヅラで挑んだ。RAGでは耳まで被り、音が聞き取れなかった教訓を生かし、耳は出しておく。いろいろと自分では課題があったが、なんとかいけたかな?"Open Arms"のVo.はヘルスケくんのお連れの女性。ちょっとハスキーな声がセクシーだった。
次はクイーン特集。これは2月4日に開催される「jazzさんatBBA」の練習も兼ねている。遠方から白と黒さん、マットさんが登場。白と黒さんは最近東京へ転勤となられたそうで、京都でのクイーンな集まりに出演できるのは、次回で最後かもと言う寂しいお話だった。でも、昨年のRAGから、大好きなクイーンを演奏できて、とても楽しかったと喜んでいらっしゃった。4日には、思い残すことなく演奏してもらいたい。マットさんはギルドのブライアン・メイ・モデルで参戦だが、色が水色!パッと見ではブライアン・メイ・モデルとはわからないくらい変わっている。残念ながら、急ぎの電話が入ったので、よく見られなかったが、4日の本番に期待しよう。
続いてTOTO特集。G.TOMさん、B.サモさん、Dr.kirryさん、key.Junさん。今回はTOMさんが私のG.を弾いたが、けっこう良い音するやん( ̄∀ ̄*)。それとも弾き手の違いか?( ̄□ ̄|||)。"Hydra"では、shinちゃんがG.に引き続きリードVo.も披露。なかなかよいじゃん。Junさんの酔いがかなり回っていて、途中リズムがよれたのもご愛敬か(・m・ )。kirryさんはTOTOを演ると言うことで、かなり緊張していた様子。なんせ、TOTOファンは完コピ以外許さないので、人前で演るのは大変。でも、大好きなTOTOを演奏できたことが、とても満足なようだった。もちろん、演奏もバッチリでした。
さて、本日のトリ、フォリナー特集。盛り上がっているのは、演る側だけ?いや、フォリナーを演ると言うことに意義があるのだ。Vo.にルールーさん、Brendaさん、G.にセンベーさん、B.よっしい☆、サモさん、Dr.MFCオーナー、もう一本G.に私で挑んだ。オーナーと私は、FOREFINGERの持ちネタでもあるが、ルールーさんとセンベーさんは、なかなか演奏機会のないフォリナーネタにご満悦(だったと思う)。よっしい☆もクイーン以外で弾くのは(今のところ)フォリナーだけ。思い入れが無い分、楽しそうにプレイしている。ルールーさんvs.Brendaさんの「フォリナーとの青い体験」Ψ( ̄∇ ̄)Ψ談をメインに"衝撃のファーストタイム"で終了。
アッと言う間に終わったのは楽しかった証拠。プロデューサーの色が出ておもしろいこのイベント。こんなのやるのか?って言う実験的な試みも期待できる。今後どんなのが飛び出すのか、とても楽しみで、BBAの看板イベントになればいいな。
演奏曲目は以下の通り。(赤文字は参加曲)
"Living On A Prayer" Bon Jovi
"Action" Def Leopard
"Helter Skelter" The Beatles
"All Night Long" Rainbow
"Any Way You Want It" Journey
"Lights" Journey
"Open Arms" Journey
"Don't Stop Believin'" Journey
"Prosession" Queen
"Bohemian Rhapsody" Queen
"I'm In Love With My Car" Queen
"Hammer to Fall" Queen
"Child's Anthem" TOTO
"I'll Supply The Love" TOTO
"Hydra" TOTO
"Headknocker" Foreigner
"Hot Blooded" Foreigner
"Cold As Ice" Foreigner
"Dirty White Boy" Foreigner
"Double Vision" Foreigner
"Feels Like The First Time" Foreigner
阪神淡路大震災 ― 2006年01月17日
今日は、阪神淡路大震災の起こった日だった。11年前のその日、私は東京で暮らしていた。朝、テレビをつけると倒れた阪神高速、半分落ちかかっているバスの映像が飛び込んできた。何事か?しばらく見て、それが京阪神地区で起こった大地震の映像だと言うことがわかった。映像は大阪・神戸が中心だったが、京都は大阪よりも大きい震度5。実家に電話したが、つながらず。だが、すぐに東京に住む妹から、無事だという電話が実家から入っていたと連絡が来る。京都もかなり揺れたが、ほとんど被害はなかったようだ。
本来、その日私は京都へ帰っている予定だった。成人の日を含む3連休を利用して、父親の還暦の祝いをして、17日に東京へ戻る計画をしていた。だが、新規事業で台湾からのお客さんを釧路の牧場へ連れていく出張の日程が、どうしても15日しかなかったので、直前に予定を変更したのだ。15日は、奇しくも2年前に釧路沖大地震があった日で、釧路港などはまだ、その地震で出来た亀裂や段差が残っていた。
無用な連絡はできるだけ控えたが、次第に取引先や友人の無事の知らせが入ってきた。だが、うちの担当で3日経っても連絡が取れない人がいた。先方でも消息がつかめていない。仕事とは別に親しくしていたので、自宅に手紙を書いた。翌日、取引先から無事だと連絡があったと聞きホッとした。後で聞くと、その時書いた手紙はライフラインが復旧してないのに、ちゃんと配達されていたそうだ。また、ある取引先などは「うちは大丈夫だが、親戚がまだ3人埋まっています。」と言うところもあった。
幸いにも、私の周りでは亡くなった人はいなかった。だからか、震災の記憶は薄れてきている。次は東海だ、関東だ、南海だなどと言われながらも人々は他人事のよう。悲劇を繰り返さぬようにと言っている一方で、手抜き工事や耐震計算偽装マンションなどをざる法で建設しているようでは、これよりひどい結果になることは目に見えている。忘れると言うことは、痛みを癒す反面、新たな痛みを生み出す元でもあることを肝に銘じておかねばならない。
苺ミルク ― 2006年01月20日

子供用のソーセージで、こんな物があった。味は・・・怖すぎて食べてない。しかし、食べずにレポートでは無責任すぎるので、食べてみた。
香りは、魚肉ソーセージだ。口に入れる。食感も魚肉ソーセージその物。味も・・・魚肉ソーセージの味の後に、ほんのり甘く苺の香りが・・・(T.T)。でも、思ったほど苺ミルクの味がしないので、食べられないことはない。入手困難になってきているそうなので、見つけたら即ゲット!ですよ。
小雪 ― 2006年01月25日
事故 ― 2006年01月26日
今日はちょっと寒さもゆるんで、最高気温が10度くらいだった。いよいよエンジンをかけたとたん、細かい雨が降ってきた。なんてこった。ほったらかして置いた罰か、バイク乗りの試練か、時間がないので、霧雨の中出発するが、南の空は明るい。すぐに雨のゾーンを抜けた。昔は取り憑かれたように、車を抜いていかないと気が済まなかったが、今は混んでくるまでそんなことはしない。もっと寒さがこたえるかと思ったが、それほどでもない。やっぱりバイクは良いな〜、って大阪まで行く。
大阪で一件目の仕事を終え、高速に乗って神戸へ。高速を降りて、山の手のきつい坂をクネクネ登って、2件目の取引先へ。そこは外国人住居用に建てられた家を、オフィスとして使っている。高台の斜面に建っているので、眺めは抜群だ。あいにく社長は不在だったので、玄関先で荷物を渡して、社員の人と話をしていると、社長が帰ってきた。車を車庫にバックで入れてくるが、そこには私のバイクが停めてある。ゆっくりさがってきたが、止まる気配がない。「ちゃんと見えてるのかな?」と言う間もなく、ガン!とバイクに追突!バイクは車止めを乗り越えて、横に倒れた。びっくりして外へでると、社長も驚いて車から降りてきた。
倒れた車体を起こしたが、後ろのウィンカーが取れて、タンクがちょっとへこみ、アッパーカウルの横とマフラーが、コンクリートが当たった傷になっている。社長は平謝りで、弁償するので、ちゃんと修理して欲しいと言ってくれている。高額になったら、保険を使うので遠慮しないで言って欲しいとも言ってくれているが、買ってからもう14年目の古いバイク。ウィンカーだけ交換すれば、後は磨くなりしますよと言っておいた。それより、車の後ろがへこんでしまったのが、申し訳ない。
不思議なことに、それほどショックでもなかった。これが、見ず知らずの人だったら、そうでもなかったんだろうか?いや、最近、物への執着心が薄れてきたように思える。もちろん、新車に近い状態だったら、違っていたかも知れない。でも、長い間乗っていれば、自然と傷もつくものだし、走るのに問題があるならいざ知らず、走った感じでも、車体に異常はないし。でも20代の頃だったら、一週間は落ち込んでたろうな。
明日、あさってと、暇を見て細かいところをチェックしてみよう。たぶん新しい部品はウィンカーのみ。タンクのへこみは、吸盤である程度戻るかな?それともバイク屋で内側から押してもらって直せるかな?傷はコンパウンドで磨けば、ましになるだろう。久しぶりに、整備に出すかな。古くても、まだまだ走ってもらわないと困るしね。
母校 ― 2006年01月27日
上り坂の右側は昔と同じで、手つかずの土地が広がっている。もっと開発されているかなと思っていたが、それほどでもない。16年ぶりに門をくぐり、守衛室を右に曲がると、生協の前まで、ずっとバイクが並ぶ。全然昔と変わってない。が、並んでいるバイクが、全て原チャ。大型バイクが一台あったが、かわいい色の原チャがずらりと並ぶ。250すら無い。昔はもっと「単車」があふれていた。
時刻は6時半。私が通っていた頃と同じ時間割なら、ちょうど一時間目の授業が始まったところ。二部だったので、6時20分から始まり、二時間目が9時10分に終わる。レンガ造りの建物の前は、自動販売機コーナーで、前のベンチには誰か知り合いがいて、通るたびに寄り道をしていた。中の学食へ行くが、結構人がいた。なんかこぎれいになってる。暗かった談話室も、食堂と一体になり明るくなって、お菓子なんか売っていた。ATMまである!ドアは、おお!自動ドアだ!!食器を乗せるトレイは同じ。でも、食券機がない。今は後払いのようだ。スーパーのスナックコーナーのように、きれいな写真が各コーナーの上に貼ってある。昔はガラスケースに、その日の献立そのものが飾ってあったのに、今は日替わりとか無いんだろうか?
麺コーナーでキツネうどんを頼んだ。素うどんは、昔は90円だったが、今は税込み157円。キツネうどんは150円だったかな?今は189円とお買い得。冷えた体にうどんはたまらん。食べながら周りを見渡すが、若い子ばかり。たぶん、完全に浮いていると思う。昔、夜学はいろんな歳の生徒がいた。今の私くらいの歳の人はもちろん、会社員、銀行員、小中学校の先生、マンション管理、主婦、おじいちゃんなどいろんな職業の人がいた。もう授業が始まってしまったから、みんないないのかな?座っていると、いろんな事を思い出す。特にこの建物には、教室より長い時間いたんじゃないかな。
ついでに学生課のあった校舎へ行く。昔は壁だったところが、今はガラスのカウンターになっていた。驚いたのは、大きな液晶かプラズマテレビが6台、壁の高いところに取り付けてあり、休講やいろいろな連絡事項がそこに映し出されていた。
来年には吸収合併されて、この名前はなくなるらしい。本質的には変わらないが、故郷を無くしたような寂しさがある。
帰り道、そんな言うほど変わってなかったな〜と思いながら、坂道を来た方とは反対に曲がると、すぐにモノレールの高架がドーンと通っていた。太い道路も通っている。その先には街があるんだろう。次はそっちに行ってみようと。
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