みんなちがって、みんないい ― 2008年10月10日
チピラのクラスに、運動会を描いた絵が飾ってあった。チピラたちは「バルーン」と言う演技をやった。直径6mほどのパラシュート状のカラフルな布の端をみんなで持ち、号令に合わせて上げたり下げたり。空気が中に入って膨らみ、大きなドームが出来上がる。今度はみんなで波打たせたり、ボールをはじけさせて、ポップコーン。真ん中に置いた玉を一斉に空に打ち上げるロケットなど、丸い布をみんなで力を合わせていろいろなものを作った。
去年、上のクラスがやった時、チピラは興奮気味に「バルーン見て」と言ってた。自分も一緒にやりたそうでうずうずしていた。それを今年やって、嬉しかったと思う。他の子たちも、かけっこや玉入れよりバルーンが一番印象に残ったようで、壁に貼ってあった十数枚の絵全てが、画用紙いっぱいに描かれた、色とりどりの丸いバルーンだった。ところが、その中で一枚、バルーンを描いてない絵があった。チピラの絵だった。
いや、バルーンはあったが、他の子たちのように、画用紙いっぱいではなく、真ん中上に小さくバルーンらしきものが描いてある。画面には、多くの子供たちの姿が描いてあり、周りには、色とりどりの観戦用のテントが描いてあった。
その時チピラはいなかったので、その絵の解説を聞く事ができなかったが、みんなバルーンを広げた絵を描いているのに、なぜチピラだけ違う絵なんだろう・・・ちょっと考えてしまった。そして今日、迎えにいった時に、チピラと一緒に絵を観に行き訳を聞いた。すると、チピラの描いた絵は、バルーンの前のポニョの踊りの場面で、みんなで踊っている所をテントの人が見ているところだそうだ。先生が、運動会の事なら何書いてもいいと言ったから、大好きなポニョの踊りの絵を描いたと言う。その踊りの続きでバルーンの演技があったので、バルーンは真ん中の段ボールにしまわれているらしい。だからバルーンは小さく描かれていたのか。
それを聞いて、みんなと同じ絵を描かないのは、みんなと同じようにできないんじゃないか、なんてちょっとでも思ってしまった事が、チピラに対してとても申し訳なく思えてしまった。人と比べ、同じようにできた、できないと一喜一憂するのは仕方ない事だと思うが、つまらない事に捕われ過ぎて、個性をつぶす事になっているのかもしれない。
人と同じじゃなくてもいいじゃない。昨日、十数枚の華やかな絵に押しつぶされそうに見えた絵が、今日は一つ輝いて見えた。
去年、上のクラスがやった時、チピラは興奮気味に「バルーン見て」と言ってた。自分も一緒にやりたそうでうずうずしていた。それを今年やって、嬉しかったと思う。他の子たちも、かけっこや玉入れよりバルーンが一番印象に残ったようで、壁に貼ってあった十数枚の絵全てが、画用紙いっぱいに描かれた、色とりどりの丸いバルーンだった。ところが、その中で一枚、バルーンを描いてない絵があった。チピラの絵だった。
いや、バルーンはあったが、他の子たちのように、画用紙いっぱいではなく、真ん中上に小さくバルーンらしきものが描いてある。画面には、多くの子供たちの姿が描いてあり、周りには、色とりどりの観戦用のテントが描いてあった。
その時チピラはいなかったので、その絵の解説を聞く事ができなかったが、みんなバルーンを広げた絵を描いているのに、なぜチピラだけ違う絵なんだろう・・・ちょっと考えてしまった。そして今日、迎えにいった時に、チピラと一緒に絵を観に行き訳を聞いた。すると、チピラの描いた絵は、バルーンの前のポニョの踊りの場面で、みんなで踊っている所をテントの人が見ているところだそうだ。先生が、運動会の事なら何書いてもいいと言ったから、大好きなポニョの踊りの絵を描いたと言う。その踊りの続きでバルーンの演技があったので、バルーンは真ん中の段ボールにしまわれているらしい。だからバルーンは小さく描かれていたのか。
それを聞いて、みんなと同じ絵を描かないのは、みんなと同じようにできないんじゃないか、なんてちょっとでも思ってしまった事が、チピラに対してとても申し訳なく思えてしまった。人と比べ、同じようにできた、できないと一喜一憂するのは仕方ない事だと思うが、つまらない事に捕われ過ぎて、個性をつぶす事になっているのかもしれない。
人と同じじゃなくてもいいじゃない。昨日、十数枚の華やかな絵に押しつぶされそうに見えた絵が、今日は一つ輝いて見えた。
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