幸せだった日々 ― 2009年07月07日
MFCオーナーが4月付で横浜へ転勤となり、彼のFOREFINGER脱退が決まったのが2月だった。去年も転勤の危機だったが流れた、だから今年はノーガードだったのだが、いきなりストレート喰らったって感じだった。
また、彼とは大太犬と言うスリーピース・バンドも起ち上げたところだった。FOREFINGERは、円熟期に入っていたが、大太犬は、いろいろなアイデアが出始め、さあこれから!と言う矢先だった。
知り合ったのが十年ちょっと前。ニール・ショーンのファンサイトの掲示板だった。フォリナー・ファンと言う共通点もあったが、気が合ったのか、人付き合いが苦手な私が、三日と空けずにメールのやり取りをしていた(笑)そして、半年ちょっと過ぎたゴールデン・ウィークに突然、京都へ行くから二人でスタジオに入りましょうと、ホテルもとらずにやってきた。今までは顔も見えないメールだったが・・・期待と不安が交錯する中、初めてMFCオーナーと会ったときの・・・(略)
その後彼はMusic Field in Chigasakiを起ち上げ、その行動力と深い音楽知識で、どんどん仲間を増やして行った。横浜ではバンドも2つ掛け持ちしていた。私はと言えば、元来の人付き合いの悪さ、引っ込み思案故、バンドするなど考えもせず、彼のライブに、出張をこじつけ見に行ったりしていた。
それから数年経ち、なんと彼の大阪転勤が決まった。二年くらいで戻る予定だと言うので、一緒にバンドやるなどとは、考えもしなかった。彼のホーム・グラウンドは横浜にあると思っていたから。だが、ほどなくして彼から、フォリナー中心のバンドをやろうと連絡が来た。ずっとやってなかった音楽活動に再び火が点いた時だった。とは言っても、メンバー集めから何から、ああ見えて行動派の彼がやってくれ、私はぼんやりメールを待つだけだった。
ところが、二年くらいのつもりが、気づけば七年半。もうそこにいるのが当たり前になっていた。
彼が大阪に来た直後は、知り合いも少なく、よく一緒に行動したものだ。おかげで、関係を疑われたりもした(爆)しかし、何でも叩いてしまうそのドラムの腕前と、幅広くかつ深い音楽の話題で、こちらでもたちまち人気者になった。時に掲示板やブログで、端から見てるとヒヤヒヤするような言い争いもしたが、なぜか次に会ったり、話をしたりする時には、全く気にならなかった。と言うか忘れていた(笑)それは、どんなに違う意見をぶつけても、お互いの基本的な考え方がわかり合っているから。信頼しているし、それを裏切らない。だから、どんな意見でも後々こじれることは無かった。
よく、音楽のおかげで繋がったとか、巡り会えたとか言うことを耳にするが、私はあまり思わない。音楽はきっかけであり、繋がって行くのは、その人となりだと思っている。いくら音楽的にすばらしくても、尊敬できなかったり、裏切られたりしたら、その関係は続かない。彼は、ああ見えて人を見る目も鋭い。私が良い例だろうか(爆)
MFCオーナーとは、FOREFINGER、大太犬の他、完全尼嗜好、Shakee'sで一緒だった。また、プログレ普及委員会では、四人囃子のギターに誘っていただいたりと、事あるごとに私のようなプレイヤーを起用してくれた事には、大変感謝している。おかげで、初級から中級の下くらいにはなれた気がする。
4月以降、新幹線で練習に通ってくれたが、いつもと同じように話し、同じように別れた。だが、先日のライブが終わり、ついに、もう引っぱってくれる人はいないんだと言うことを実感した。そろそろ自分で歩き出さないと。そう言う時が来たのかもしれない。
ああ見えて(しつこい?)行動派で、知り合いも多い彼のことだから、すぐに始動するだろう。もう彼と一緒にバンド活動をすることは無くなったが、彼がいなくても、すばらしいバンドを続けて行き、これからは、お互いに刺激し合う。そう言う関係でありたい。そのためには、彼抜きでも歩いて行かなくちゃ。ありがとうMFCオーナー。
また、彼とは大太犬と言うスリーピース・バンドも起ち上げたところだった。FOREFINGERは、円熟期に入っていたが、大太犬は、いろいろなアイデアが出始め、さあこれから!と言う矢先だった。
知り合ったのが十年ちょっと前。ニール・ショーンのファンサイトの掲示板だった。フォリナー・ファンと言う共通点もあったが、気が合ったのか、人付き合いが苦手な私が、三日と空けずにメールのやり取りをしていた(笑)そして、半年ちょっと過ぎたゴールデン・ウィークに突然、京都へ行くから二人でスタジオに入りましょうと、ホテルもとらずにやってきた。今までは顔も見えないメールだったが・・・期待と不安が交錯する中、初めてMFCオーナーと会ったときの・・・(略)
その後彼はMusic Field in Chigasakiを起ち上げ、その行動力と深い音楽知識で、どんどん仲間を増やして行った。横浜ではバンドも2つ掛け持ちしていた。私はと言えば、元来の人付き合いの悪さ、引っ込み思案故、バンドするなど考えもせず、彼のライブに、出張をこじつけ見に行ったりしていた。
それから数年経ち、なんと彼の大阪転勤が決まった。二年くらいで戻る予定だと言うので、一緒にバンドやるなどとは、考えもしなかった。彼のホーム・グラウンドは横浜にあると思っていたから。だが、ほどなくして彼から、フォリナー中心のバンドをやろうと連絡が来た。ずっとやってなかった音楽活動に再び火が点いた時だった。とは言っても、メンバー集めから何から、ああ見えて行動派の彼がやってくれ、私はぼんやりメールを待つだけだった。
ところが、二年くらいのつもりが、気づけば七年半。もうそこにいるのが当たり前になっていた。
彼が大阪に来た直後は、知り合いも少なく、よく一緒に行動したものだ。おかげで、関係を疑われたりもした(爆)しかし、何でも叩いてしまうそのドラムの腕前と、幅広くかつ深い音楽の話題で、こちらでもたちまち人気者になった。時に掲示板やブログで、端から見てるとヒヤヒヤするような言い争いもしたが、なぜか次に会ったり、話をしたりする時には、全く気にならなかった。と言うか忘れていた(笑)それは、どんなに違う意見をぶつけても、お互いの基本的な考え方がわかり合っているから。信頼しているし、それを裏切らない。だから、どんな意見でも後々こじれることは無かった。
よく、音楽のおかげで繋がったとか、巡り会えたとか言うことを耳にするが、私はあまり思わない。音楽はきっかけであり、繋がって行くのは、その人となりだと思っている。いくら音楽的にすばらしくても、尊敬できなかったり、裏切られたりしたら、その関係は続かない。彼は、ああ見えて人を見る目も鋭い。私が良い例だろうか(爆)
MFCオーナーとは、FOREFINGER、大太犬の他、完全尼嗜好、Shakee'sで一緒だった。また、プログレ普及委員会では、四人囃子のギターに誘っていただいたりと、事あるごとに私のようなプレイヤーを起用してくれた事には、大変感謝している。おかげで、初級から中級の下くらいにはなれた気がする。
4月以降、新幹線で練習に通ってくれたが、いつもと同じように話し、同じように別れた。だが、先日のライブが終わり、ついに、もう引っぱってくれる人はいないんだと言うことを実感した。そろそろ自分で歩き出さないと。そう言う時が来たのかもしれない。
ああ見えて(しつこい?)行動派で、知り合いも多い彼のことだから、すぐに始動するだろう。もう彼と一緒にバンド活動をすることは無くなったが、彼がいなくても、すばらしいバンドを続けて行き、これからは、お互いに刺激し合う。そう言う関係でありたい。そのためには、彼抜きでも歩いて行かなくちゃ。ありがとうMFCオーナー。
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