震災の影響が・・・2011年03月25日

3月11日に起こった大地震は、原発事故も伴い、想像できないくらいの被害をもたらしている。地震の規模も大きかったが、原発事故の被害はそれ以上に拡大する可能性も秘め、天災から人災へと変わりつつある。数多くの被災者の方々には、お見舞いの言葉をかけることすら躊躇させるような映像が次々と流れて来てるが、早く復興に迎えることを祈るばかりだ。

地震のとき、私は確定申告の作業中だった。毎年この時期になると、tom nyajyaさんから「確定申告終わりましたか?早くしないとダメですよ」と言うおしかりのメールが届く。今年は来なかったが、来ようが来まいが、やはりギリギリだ(笑)その作業中、あれ、めまい?と言うような、身体がフラフラしているような感覚が。ふと、吹き抜けのルーバー窓の開閉用に、長くぶら下がったチェーンを見ると、振り子のようにゆっくり揺れている。ああ地震だと思ったが、結構長い。1分以上はあっただろうか。揺れの周期も長く感じた。ゆっくりとした揺れの時は、直後にブルブルッというキツい揺れが来るので、ちょっと身構えたが来なかった。長さが気になったので、ちょっと休憩してテレビをチェックするか。とテレビを点けると、放送はただならぬ様子だった。次々と入って来る情報に、これは大きな地震だと思ったが、いつもよりちょっと大きめかなと思っていた。。

報道では、震度の大きさもさることながら、大津波警報が発令され、その高さが、最初は3m、そして6m、10m以上とどんどん高くなっていく。10mの津波って・・・。

夕方子供たちを迎えに行って実家へ寄ると、横浜の親戚と連絡がつかないと言う。埼玉の妹は、無事が確認できたようだ。首都圏でも揺れはかなりのもので、大きな被害が出たところもあったようだ。とは言え、首都圏はまだ大丈夫だろう、それより気になるのは東北だった。震源近くには、あのtom nyajyaさんが住んでいる。彼女の住んでいる隣の市が、津波で壊滅的な被害をおったらしい。

ジャスミンさんがブログに、災害用掲示板として起ち上げた記事にも、彼女の情報は無く、安否を心配する人のコメントばかりが増えていく。12日も13日も。関東圏の親戚や友人などとは、とりあえず無事を確認できたなか、tom nyajyaさんの安否だけがわからなかった。おっとりしてるから、逃げ遅れたんじゃないだろうか。やさしいから、人に譲ったりしている間に・・・とか、時間が経つと、思いは悪い方へと流れていった。

14日、ジャスミンさんの掲示板に、nagarebosi★さんが、tom nyajyaさんの携帯から無事だと連絡があったと書き込みがあった。よかった、生きていてくれたんだ!幸いご自宅も無事でだったそうだが、無傷というわけではないだろう。それに、親戚や友達などで被災した人、安否が不明な人もいるだろう。とりあえずは助かったが、原発事故の脅威、物資の不足など、まだまだ不自由な生活を強いられるし、また、それがいつまで続くか見通しがつかない不安やストレスもある。それらも含めて、平穏な生活に早く戻れるよう願うしか無い。

うちは、昼間はラジオを点けているが、ラジオとテレビって、報道の仕方が全く違った。テレビは、一日中、津波で船や車や家が流される映像を、それも同じ物を休み無く流し続ける。ところがラジオは、通常番組そのままで、速報以外はいつもと変わらない。もちろん、話の内容は地震についてだが、それは阪神淡路大震災のときの事とか、今回の被災者へのお見舞いの言葉が主だ。テレビはその後、自衛隊もまだ入っていない村へ初めて足を踏み入れたと自慢げに語るリポーターや、大切な人を探している、または亡くして悲しんでいる人を次々映し出していた。確かに、この被害を知らせる必要はあるだろうが、徐々に被害者そっちのけで、よりショッキングな映像を求めて無駄に現地入りしているようにも見えた。だいいち、道路が寸断されて、援助物資も届けられないはずなのに、なぜ報道のクルーだけが大挙して押し寄せられるのか?援助物資を持って現地入りしたわけでもなさそうだし。

地震と津波の被害に追い討ちをかけたのが、原子力発電所の事故だ。柏崎のときでもぼろが出たが、今回は致命的で、そして未だ予断を許さない。東京電力や政府は、爆発しようが炉心が溶けようが「問題ない、大丈夫だ」としか言わない。漏れた放射線の量は、レントゲン1回分より低いから安心などと言うが、レントゲンは一瞬だが、漏れた放射線は、そこにいる限り24時間、365日浴び続けることになる。東京の水道水の放射能基準値が高くなったからと、20数万本のペットボトルが即日配られたそうだ。地震から10日以上も経っているのに、せめてその半数、いや一部でも被災地へ送れなかったのか?それとも、天罰だから分けられないとでも言うのだろうか。原発はリターンが大きいがリスクも大きすぎる。いっそのこと、自分ところで使う電気は、その自治体内で発電所作ってまかなう事にした方がすっきりしていいんじゃないか。

また、政府発表も「大丈夫、問題ない」の繰り返しじゃ、本当だとしても全く信用できない。だって、どう見てもあかんでしょ、あれだけ壊れてて、近寄ることすら出来ないんだから。だいたい、何で現場でもないのに作業着着てるんだ?

避難範囲も広がり、これから作物や魚などへも、影響が出てくるだろう。福島県のダメージは深刻的だ。そして震災の影響は、アクセサリーなどと言う、日常生活にとってはどうでもいいような物を扱っている私にもかなりの影響があるだろう。既に関東地方はもちろん、こちらでも消費意欲は削がれているようだ。来年の確定申告は、また辛いものになりそうだ。

さよなら保育園2011年03月27日

26日(土)は、ヨースティーの保育園の卒園式だった。朝早くには雪が降っていたが、登園する頃には青空が見えて、いい天気になった。早生まれなので5年間通ったが、本当に色んなことがあったな〜。クラスの中では月齢も一番小さく、まだまだ不安だったが、最近は、やはり小学生になるという自覚からか、結構しっかりして来たような気もする。

卒園式は、去年チピラで経験済みだが、やはり心に来る物がある。謝辞を述べたお母さんも、途中から涙ボロボロで、他のお母さんたちの涙を誘っていた。来週も少しだけ行くが、もう手をつないで通うことも無いんだな〜。しかし、一番悲しいのは、やっぱりかわいい先生に会えなくなることだな〜。ホント悲しい!園庭で、友達たちと写真を撮ったり、暴れたり。遊具に登ったり、鉄棒したりしていたが、その服では止めて!とあちこちで悲鳴が上がっていた。そして帰ろうと門を出たら、突然黒い雲が空を覆い、雪が舞って来て、吹雪になった。家まで5分ほどだが、身体半分白くなるくらい。スーツが濡れるやん!しかし、吹雪はその時だけで、10分もしないうちに、また青空が出て来た。

午後からは食事会があった。今年は、なぜか居酒屋。前に行った事あるが、結構狭い店で、全員入れるのか?と思ったが、やはり2階と3階に別れなければならなかった。しかし、今年は父親の参加が3〜4人と少なかったので、なんとか入れた。大人は飲み放題だが、子供はジュース1杯だけ(笑)食べ終わったら、あちこち遊び回るので、ちゃんと飲めるのか・・・と思ったが、狭さが幸いして、去年のように走り回ることが出来なかったのでよかった。ちょっと料理がしょぼかったけど、しょうがないか・・・。制限時間1時間ちょっとしかなかったので、話しながら、子供たちの相手もして、グイグイと5杯ほどお替わり。こういうところだけは必死(爆)

今まで、他のお母さんたちとは、あいさつや、ちょっとした会話くらいで、話し込むことなど無かったので、こういうのはいい機会なんだが、年の最初にあれば、付き合いも変わってたような気もする。まあ、父親が毎日送り迎えをするのは、あんまりいないから、他のお母さん同士は、結構やり取りしている人が多いんだけど。そんな中で「あのお父さん、何やってるんだろう?」と話題になってたことがあるらしい。「家で仕事してるって言ってたけど、グラフィック・デザイナー?楽器持って歩いてるの見た人もいるし、でも、音楽では生活できないやろうし・・・、小説家??」などと言われていたそうだ。「なんか胡散臭そうだから、ヤバい仕事やってるんじゃないの〜」なんて事も言われてたんだろうな〜(爆)

食事会が終わって、横大路の土手へ土筆を採りにいった。もう遅いかな〜って思ってたが、杉菜になっている物も少なく、結構採れた。妻も酔っぱらったから、晩ご飯はめんどくさいと、以前から気になっていたホルモン肉屋で肉を買って焼き肉にした。サガリとツラミ、アギ(アゴの肉)、心臓を買った。漬けてもらったタレが、焼き肉屋さんで食べたみたいでおいしかった。ハラミも欲しかったけど、690円くらいと、結構高かったのでパス。また、食べた事無い部分買いにいってみよっと。

にぎやかな誕生日2011年03月29日

今日はヨースティ−6歳の誕生日だった。そして、保育園最後の日だった。数日前から「僕の誕生日まで後○日」と楽しみにしていた誕生日。プレゼントは、ポケモンのカードゲームと決めていた。でも、帰って来るまでお預け。

昼から、埼玉の妹が子供たちを連れて帰って来た。子供たちはヨースティーと同い年。入学式までの一週間ほどいる予定だが、その間に原発事故が収まってくれれば良いが。やはり向こうにいると落ち着かないので、春休みの間だけでも、ゆっくりと過ごせるかな。

保育園最後のお迎え。園長先生にあいさつし、以前担任だった先生にもあいさつした。ヨースティーは「さよなら」といつもの調子。「もう保育園は行かないんやで」と言うと、「えっ、じゃあ明日から小学校へ行くの?」と、学校へ行く気満々だ。その調子でがんばってくれ。しかし、先日、小学校の校長先生が変わるという連絡が来た。町のいろいろな行事にも、休みの日にも関わらず、ほとんど全て顔を出してくれていて、生徒たちにもよく声をかけてくれ、ヨースティーの顔と名前も憶えてくれていたのに・・・残念。次の校長もいい人でありますように。

夜は、実家で誕生会。人数が多いので、初めてホットプレートでパエジャを作ったが、暖まるのが中央よりで、周りまで上手く炊けなかった。フタもあるし、もっと熱が均一に回ると思っていたのに。意外だったな。スペイン・オムレツも食べたら、お腹いっぱい。ケーキは明日のおやつに回すことにした。

家に帰って、プレゼントを開けて「やった!初めてセットや!(カードゲーム)」と大喜び。でも、もう遅いから遊ぶのは明日。もう保育園も無いからと言うと「じゃあ、僕10時まで寝るで」と、いきなり寝坊宣言。小学生になったら、もっと早起きしなけりゃならないのに、大丈夫かな〜。

声の魅力2011年03月30日

当たり前だが、ラジオからは声だけが聞こえてくる。太い声、細い声、澄んだ声、だみ声。そして、その声を聞き、その人がどんな風体をしているのだろうと想像するが、これが結構外れる。声はきれいなのに・・・って(笑)まあ、勝手に思い込む方が悪いと言えば悪いのだが、クリストファー・クロスが出演したミュージック・フェアを見たときの衝撃ったら(爆)リック・アストリーも、絶対黒人だと思ってたし。

歌声はもちろんだが、話し声が魅力的な人ってうらやましい。人によって、好みはいろいろだろうが、私は結構、倍音成分の多いと言うのだろうか、そう言う声が好きだ。例えば、増田明美とか、荻野目慶子とか、南佳孝とか、ちょっと古いか?・・・最近の人はよく知らないな。私はもこもこ声なので、そう言う声にはとても憧れてしまう。

声と言うのは、その人を印象づける重要な要素のひとつである。そして、2年ほど前に、一瞬にしてKBS京都の聴取者の話題をさらった声の人がいる。日本道路交通情報センター京都の「やまかみしょうこ」さんだ。初めて彼女の声を聞いたときは、いつもは聞き流す交通情報に釘付けになった(笑)まず、声がミックス・ヴォイスだ(爆)そう感じるほど高い。素っ頓狂とまではいかないが、それに近い。そして、原稿の読みかたが、緊張からか、棒読みと言うか、小学生が作文読んでいるみたいな感じで、一生懸命さが伝わってくる。彼女の交通情報が終わると、すぐに番組に「最高!」「すばらしい!」と言うメールが殺到した(笑)その高い声での、ぼくとつな交通情報は、癒されるという言葉がぴったりだった。最初は緊張していたから、ああいう読み方なのかと思っていたのだが、2年経った今でも、ほとんど変わっていない。去年から、週一くらいで奈良も担当するようになり、一瞬異動か?と、ひやっとさせられたが、まだまだ京都でがんばっている。交通情報は、日替わりなので、やまかみしょうこさんの声が聞けた日はラッキーデーと決めている(爆)

バンドもまた、複数の人で集まっているにも関わらず、その顔はヴォーカリストである。いや、ヴォーカリストの声という方が正しいか。ヴァン・ヘイレンのように、タイプの違うヴォーカリストに変わっていっても、次々とヒット作を生み出すバンドはむしろ稀で、スティーヴ・ペリーの亡霊に取り憑かれたジャーニーや、やっぱりルー・グラムに似た声を探したフォリナー。しかし、呪縛から逃れられていないのは、むしろ聞き手の方で、やっぱりペリーでないと、ルーでないと、という思いがそうさせるのだろう。ヴォーカルと言うのは、それほどの力を持っている物なんだな。

話は違うが、6月にイギリスでジャーニー、フォリナー、スティクスのジョイントライブがあるが、7月からジャーニーとフォリナーの全米ジョイントツアーが決まったようだ。たしか1999年頃に一度一緒にやった。そのまま日本へ来てくれないかな〜と思った物だが・・・やっぱり来ないだろうな、この組み合わせでは。