引っ越し ― 2006年09月02日
日曜日に始めた引っ越しが、木曜にやっと終わった。今回の引っ越しは、移動距離150m程なので、業者に頼まず、自分たちでやることにした。日曜日は義兄や弟に手伝ってもらい、家具類の大物を動かした。子供達は妻の祖父母が面倒を見に来てくれた。しかし、家具を移動したにもかかわらず、前の部屋の荷物が減った気配はない。先を考えると、ちょっとめまいがした。
月・火は妻が仕事なので、母に手伝ってもらい、片づける。しかしいっこうに片づいた感じがしない。あちこちからどんどん物が出てくる。新しい物なら嬉しいのだが、何だこりゃ?ってなものばかり。捨てればいいのだが、なかなか思い切れない。やっぱり先はまだまだだ・・・。
水曜に妻と荷物をまとめた。義母も新居の片づけの手伝いに来てくれる。夕方から弟が運ぶのを手伝いに来てくれた。単純に荷物を運ぶときは、男手が助かる。仕事終わりで疲れているだろうが、文句も言わず手伝ってくれた。近所迷惑にもなるので、10時でうち切り、残りは31日の引き渡しギリギリまでがんばることにした。子供達はおばあちゃんが見てくれたが、かなり寂しかったようだ。
引き渡し日、残った荷物を処理し、軽く掃除。管理会社の長栄の担当者が来て、部屋をチェック。ここの会社、賃貸物件では、京都でかなり幅を利かせているが、あまり良くない。そのお粗末な内容は次回に。壁に穴が開いたりしていたが、その辺は適当に説明し、何とか引き渡し終了。片づけの終わった部屋を眺めると、ここでチピラやヨースティーが生まれたんだな〜と、ちょっと寂しくなった。がらんと何もない部屋を後にして新居に行くと、足の踏み場もない荷物の山。たぶん半年はこのままだろうな・・・。
単身での引っ越しは、何度か経験あるが、所帯を持ってからの引っ越しは初めて。あらためて物の多さに驚いた。次から次へと出てくる出てくる。脳みそのように、ふだんの生活では2割くらいしか使ってないんじゃないか?ほかす物はほかす!と決めていたのに、やっぱり色々持ってきてしまった。中には、引っ越すたびに出てくる、詰め込んだままの開かずの箱も。整理ベタだから、なお困る。物に執着が無くなってきたとは言え、見てしまうと捨てられない。まあ、そのうち整理しよっと。
夢の演奏 ― 2006年09月04日
昨日こんな夢を見た。
気が付くとBBA。9月30日に行われるBrendaナイトが始まっていた。おかしい、後一ヶ月あるはずだが、何故かもう本番だ。私はドラムのいすに座っている。ライトがまぶしい。その向こうには、いつもの顔がシルエットとなってこちらをのぞき込んでいる。「早くしようよ。」「え〜、ドラム叩くの?」「忍者さんできるの?」数々の罵声や質問が飛び交う。「何でドラムなんかでエントリーしたんだろう・・・」後悔と共に、汗がドッと流れ出てきた。
「忍者さん、大丈夫ですか?」とMFCオーナーが訊いてきた。Brendaさんは、グラス片手にすでに目を閉じている。「たぶんいけると思います。」と言ったが、練習はおろか、まだ構成すら憶えていない。だが、ステージはもう始まっている。恐る恐る叩いてみる。スタタタタン。お?なんかいいかも。ツタタタツタツタシャ〜ン。おお、と言うどよめきが会場におこる。タタタタタタタタトゥルルルルルルルルルルルルルルルル。おお、ロールなんか出来ると自分自身でも驚いた。目を丸くしているオーナーの顔が、負けたという落胆の表情に変わった。「あら、いいじゃないの。」目を閉じたままBrendaさんがつぶやいた。よし!これならいけるぞ!と言うところで目が覚めた。う〜ん、とても十個も続かない。
今日は急逝したいとこの旦那の告別式に出席だ。通夜では会場にビートルズが流れていた。生前好きだったらしい。祭壇には、古い楽譜や本が並べてあった。そして今日"The Long And Winding Road"で旅立っていった。楽譜や本も棺の中に。お宝かな?なんて思うのは不謹慎だろうか。本人とはほとんど面識がなかったので、特に感じるところもなかったが、いとこが悲しむ姿を見ると、ちょっとグッと来た。次に集まるのは、誰かがいなくなった時。出来れば順番に、笑顔で見送れるようにしたい。
まん丸お月さま ― 2006年09月08日
保育園の帰り、曲がり角を曲がると、道路の正面に月がのぼっていた。いつもより大きい気がする。チピが「まん丸やな〜。まん丸お月さまやな〜。お月さま、こんばんわ〜!」と、昨日読んでやった本の題名を話していた。
去年はしっかり撮ったけど、今年は撮ろうと思ったら、雲に隠れてしまった。せっかく晴れたから、もったいぶらなくてもいいのに。
初ブルース体験 ― 2006年09月11日
8日夜、携帯に「明日の夜、ブライアン・ランチのベース、糸井氏のブルースバンドのライブがあるので来なさい。」とメールが入った。日曜日に区民運動会に参加するので、電車で帰ると条件付きで向かった三条pig & whistle。この日は、昨年のアメリカでのハリケーン、カタリーナの被災者に対するチャリティ・ブルース・ライブだった。新潟や鹿児島も被害あったのにと思ったが、ブルースなので仕方がない。(?)全部で7〜8バンド出演だったが、なかなか熱い演奏を聴かせてくれた。かっこいい。たぶんTTTは、こんな感じにやりたいんだろうな。
糸井氏は初めてみるが、普段はその日のようにアグレッシブなベースを弾かないそうだ。まあ、ストーンズのコピーだから納得。店内は満員。コージー冨田似のヴォーカルが確認できたくらいで、楽器すら見えなかったが、演奏はしっかり聞こえた。TTTは、果たしてどうなるのか。これを刺激にがんばろう!
で、良いじゃないと引き留める生暖かいおじさんの手を振りきり、終電セーフ。帰ってお腹が空いたので、ごはん食べたり色々してたら、結局3時半くらいになってしまった。運動会は大丈夫か?
痛いけど気持ちいい! ― 2006年09月13日
今回引っ越しで、隣の町内会に所属することになった。引っ越して2週間。ご近所さんと親しくなる良いチャンスだ。きわめて友好的、かつ協力的にふるまおう。そう思っていたが、出てくださいと言われていた入場行進には、前日の夜更かしがたたり間に合わなかった。仕方がないので、町内会のテントへ行く・・・が・・・知ってる人はいない。もちろん、向こうもわかってくれない。先週引っ越しの挨拶に行ったご近所さんは・・・誰もいない。が、そこへ引っ越しの挨拶をしておいた町内会長さん発見。無事紹介してもらい、テントに入ることが出来た。
天気は雲は多いが晴れ間もしっかりあり、時折日差しが照りつける。ちょうど良いくらいだ。さっそく「年齢別対抗リレーに出てください。」と言われる。これは、40代、30代、20代、10代と順番にリレー競争をする競技。その年代に該当者がいなければ、年代が上のものに限り出場することが出来る。予選を勝ち抜き、ラストを飾る花形種目だ。小学生の頃は韋駄天と言われたこの私、任せなさい!と言いたいところだが、最近移動時に両足が地面から離れることなど無くなってしまった。怪我だけはしないように、念入りにアップ。そして予選に。隣のコースは、この前までいた町内チームだった。見ると全員3−40代。「運動会終わってから引っ越してくれたら良かったのに〜。」などとジャブをかまされる。コースは、一週160〜170mのトラックを、半周ずつバトンを渡していく。スタート。フライングで仕切なおし。スタート。私は第3コース。第1コースと第2コースと3人並んでコーナーへ。コーナーでは3番手になった。抜いてやろうか、と思ったが、足が重くなってくる。ピッタリと後ろに付く作戦で、第2走者へバトンタッチ。あれよあれよという間に1位になり、終わってみれば、ぶっちぎりの予選1位通過。今年は棄権するチームが多く、次はプログラム最後にある決勝戦となった。次もがんばらねばと、景品のサラダ油を手に誓うのであった。会長メモの参加予定リストを見ると、「リレー、綱引き、玉入れ、水運び競争」に私の名前があった。フル出場かよ!足が持つだろうか?
チピラは、「私も走るの。」と大張り切り。だが、参加資格が小学生以上がほとんど。今年も「幼児競争」と「親子三代リレー」くらいしか出られない。走る姿が、ピョコピョコかわいいので、もっと色々見たいが、しょうがない。その代わり、昼休みに友達とコースをくるくる走り回っていた。ヨースティーも、お姉ちゃんやおばちゃんに愛想振りまき、フラフラ歩いたり、抱っこしてもらったりしてご機嫌&楽ちん。前の町内で、おにぎりもらったりと、結構戦利品をせしめていた。
午前中は、晴れ間の間に、時折ぱらぱらと雨が降ったが、ちょうど砂ぼこりが立たない程度に湿って、大した影響はなかった。午後になり、所々黒い雲が多くなってきた。風が強くなり、雲もどんどん流れている。それと共に筋肉痛が。特に太ももの表側。決勝走れるのか?それも数々の競技をこなした後で。そうしている間に、玉入れの召集がかかった。これも町対抗得点競技。30秒間投げるのだが、なかなか入らない。だいたいどこも20個前後。多いところで30個ちょっと。さあいくつ入れられるか。長いような短いような30秒が終わり、いよいよ数を数える。だが、かごの半分くらい入ってる?多いんちゃう??い〜ち、に〜い、さ〜ん・・・さ〜んじゅう、他のチームの玉はすでにない。さ〜んじゅきゅう、よ〜んじゅう!40??凄い、新記録だ。一同興奮、景品のティッシュを手にテントに帰った。
すばらしい記録の出た玉入れの興奮もさめやらぬうち、綱引きの召集がかかった。集合場所で町内の人が「どうですか?」と聞いて来たので、「結構太ももに来てますね〜。」と答えると、「え!じゃあ、綱引きとか無理しないで、他の人と替わりましょう。」と急遽交代になった。たしかに、ここで力を使い果たすと、走れなくなる場合もあり得る。なので、力をリレーに温存しておくことになった。新入りだから優しくしてくれるのかな?と思ったりもしたが、よく考えると、今日40代以上で走れるのは私しかいない。そう、私が出ないと、リレーは棄権になる。だから、優しく扱ってくれたのだった。
「エア・サロンパスした方がいいですよ。」と渡される。これは、スプレー式サロンパスのことで、決してサロンパスを貼るまねをすることではない。両足全体に噴く。クァ〜ッ、気持ちええ〜。一気に楽になり、ちょっと決勝いける気がしてきた。体をちょっと軽くしておこうと思い、一端家に帰る。だが、家までの7〜8分が長い!「やばいな〜、走れるかな〜。」。親子三代リレーに出るため、昼寝に帰ったチピラとおばあちゃんを呼びに行く。が、いつの間にか空はグレーの雲が一面に広がり、雨が本降りになってきた。「中止かな?」と心配するが、チピラがどうしても出たいというので、とりあえず会場へ。グランドでは、水運び競争が行われている。次は年齢別町対抗リレーの決勝だった。あれ?親子三代リレーが跳ばされてるぞ?どうやら、得点に関係ないものは跳ばされたらしい。
そしてやってきた決勝戦。足はチリチリ痛むところがある。だが、やらねばならないのだ!決勝戦は、おもしろくするために、急遽半周だったのを一周回ることになった。小学生用の内回りとは言え、一周120〜130mはある。もつだろうか・・・。くじで第2コース。ヨーイ、でやっぱり誰かフライング。二度目にスタート!急に力入れて肉離れでもするとまずいので、やや控えめにダッシュしたので、5番手になってしまった。第二コーナーを回って、裏のストレート。ク〜ッと歯を食いしばり順位を維持。第三コーナから第四コーナーへ行くとき、2位を走っていた人がこけた!よっしゃ!巻き込まれないように、内側を上手くすり抜け、第二走者へバトンタッチ。ハァ〜、完走できた。だが、まだレースは終わっていない。第二走者、第三走者ともに、前を詰めるが、なかなか抜けない。4位のままアンカーに。ガンバレ若者!第二コーナーからストレート、グングン加速して一人抜く。ヨッシャー!そのまま第三コーナー入り口でもう一人抜いて2位に!!おお!!凄いぞ!残念ながらトップは抜けなかったが、怒濤の追い上げで見事2位になった。ああ、よかった。テントに帰ると、みんな大興奮。景品のしょうゆを分け合うのであった。
決勝戦の終わりを待っていたかのように、雨が強くなってきた。残りは得点に関係ないアメ食い競争だが、中止になりいよいよ結果発表。うちの町内の成績は
見事総合優勝!だった。
雨の上がった表彰式では、優勝旗や各競技のトロフィー、カップ、賞状など山盛り渡された。今までの町内では、全く縁がなかったので、こんなにもらえるのかとかなりの驚きだった。優勝旗には、平成になってからの優勝チーム名が書いてあるが、今度の町内、18回中9回優勝しているというかなりの強豪だった。家に帰り、シャワーを浴び一休み。あ〜、疲れた。明日はもっと足痛くなるだろうな。でも、体を動かしての疲れは心地良い。さあ、これから祝勝会だ・・・。
The Sons Of Eve と荘園ライブ ― 2006年09月20日
到着時、荘園の1曲目の途中だった。前回はギター弾きまくりだったが、今回は秋らしく、じっくり聴かせる曲が多かったように感じた。派手なパフォーマンスもないのに、トリオでインストを聴かせる実力はすばらしい。ノリノリだったよたろう皇帝とISSIさんの胸に「負けるか!」と言う闘志の炎が燃え上がったのを、私は見逃さなかった。
そしてThe Sons Of Eve。む?ドラムのカール・パーマン氏だけメイクしている。あれはパイレーツ・オブ・カリビアンのジョニー・デップか?イヤ、内田裕也だろう。なかなか楽しいので、次回以降も続けて欲しい。ステージには、はじめちゃんのダブルネック、Voyager氏のハモンド・オルガン、カール・パーマン氏の銅鑼と機材も重量級。機材トラブルも吹き飛ばす演奏だった。はじめちゃんを見るよたろう皇帝とISSIさんの瞳のウルウルとメラメラを、私は見逃さなかった。
ライブ後は、和音堂のマスターが参加者をバックにスモーク・オン・ザ・ウォーターとハイウェイ・スターを熱唱するセッションで幕を閉じた。
片づけでカスタム・ハモンドはバラバラになっていくが、それでもかなり重そうだ。今日も駆けつけたまっつは、家具屋らしくせっせと手伝っていた。
12時前。シンデレラは帰らなければ、魔法が解けてしまう。でも、魔法が解けても今日は変わらないや、とカラオケへ。軽く30日のBrenda Nightの練習をしたが・・・ダメじゃん。ちょっと悲しくなるくらいダメだった。当日が怖い。だんだんと人が集まり、10人くらいになっただろうか。その頃にはヒジョ〜に眠く、歌う気力もなかった。
カラオケ屋を出たのが4時。始発まで1時間ほどある。残ったメンバーは、はじめちゃん、よたろう皇帝、藤田さん、よっしい☆。時間をつぶそうとはじめちゃんと皇帝が入った店が「焼き肉屋」。どうやら居酒屋と間違ったらしい。だがちょうどお腹が空いていたので、夜明け前から焼き肉。テールクッパも食べて腹一杯。朝から焼き肉なんて初めてだ。でも、久しぶりの焼き肉はうまかった。
コテコテの夜はコテコテの朝で終わったのだった。
近所迷惑な話 ― 2006年09月22日
新居に引っ越して、そろそろ一ヶ月になるが、まるで家の中が片づいていない。下手するとこのまま数年過ぎそうだ。本棚などの購入も考えるが、下駄箱や引っ越しの際捨てたレンジ台を買ったり、エアコンやその他もろもろかなり物入りだ。ふ〜、いつになったら人を呼べるのか。
さて、運動会でご近所とも若干つながりを持てたと思ったが、参加した人たちって、結構家から離れていて、その後見かけたことすら無い。どこにいるんだ?近隣住人も、あまり外に出ない。いつも見るのは町内会長さんだけだ。
住んで一ヶ月、その近所のことで、ちょっと困ったことがある。うちの家は狭いT字路の左下角にある。Tの突き当たりは敷地200坪以上はある豪邸の入り口だ。門を入ってすぐは100坪ほどの庭というか、貸しガレージになっているようで、結構車の出入りがある。その向こうにまさに「家」の形をした白亜の豪邸がある。こちらに向いている面の半分がガラス張り。リビングは3階の吹き抜けで、らせん階段が見える。西向きだから暑いだろうな。地主なのか、近所にも同姓の家が多く、その敷地につながっている親戚や親の家、アパートも入れると300坪は軽く越えるのでは無かろうか。
その白亜の豪邸、住んでいるのは、私よりちょっと若い夫婦と2歳くらいの息子、そして巨大な黒い犬。その犬、本当に巨大で、頭までの高さが130〜140cmはあるだろうか。その犬がよく吠える。貸しガレージだから、車の出入りが頻繁だが、車が出入りするたびに吠える。郵便配達が通ったら吠える。ちり紙交換が通ったら吠える。風が吹いても吠える。アホちゃうか?ってくらい吠える。まあ、吠えるのは我慢しよう。そのうち私も色々音を出そうかと思っているので。
困っているのは、そこの飼い主がうちの前の通りの溝で、その犬に小便をさせることだ。その溝、昔の用水路の名残で、コンクリートでふたをしていなかった小学生時代など、よくザリガニやオタマジャクシを捕まえて遊んだものだ。今は完全に地下水路と化しており、Tの両脇部分に60×90cmくらいの格子状の金属で空気抜きのふたがしてある。うちが入居するまでは、半年ほど無人だったので、うちよりのふたに小便をさせていたようだ。入居して玄関にいたときに、散歩帰りにその犬がうちの前のふた部分に小便をした。いや、マーキング程度の「チョロッ」ってやつなら気にもならないが、体がでかい分、その量が大人の人間より多い。時間も1〜2分ほどしている。「何しとんねん」って感じで飼い主の旦那を見ていたが、「すいません」の一言もなく、目も合わせない。用が済むと、さっさと自分の家に消えていった。あきれていると、洗面器に水を入れ、そのふたにザバッと掛けて無言で帰っていった。気を使ったつもりだろうが、詫びの一言もあって良いんじゃないか?
それから何日かして、今度は奥さんが犬を連れているところに遭遇した。連れていると言うより、門から出てきて、小便させて帰るだけ。そう、外へ犬の用を足させに出てきたのだ。その時も、私がじっと見ていると、かなりばつが悪そうな顔をして帰っていった。そりゃそうだろ。すると次から、Tの字の反対側のふたでさせるようになった。だが、それで解決って訳ではない。だってそこはお向かいさんの家の前。それに、溝には水が流れていないので、悪臭が周りにかなり漂う。風向きによってうちに来たり、よそに行ったり。だがその臭いは決してその飼い主の家へは行かない。だって家の前に100坪からのガレージがあるから。
しかし、よく近所の人は苦情を言わないな。○○組って看板のせいか?私も最初は、たまに臭うくらいならしょうがないかと思っていたが、気になるとかなり気になる。だいたいそんな広い土地があるんだから、犬の用足しくらい、自分の敷地内で済ませろ!と言うことで、近所でその家の評判を調査してから、文句、いや、お願いに行こうと思う。でもね、こういうのって逆切れや嫌がらせされる可能性があるから、とっても気を使うね〜。もし私の身に何かあったら、敵はお願いします。(誰に言ってるんだ?)
しかし、犬飼っている人全てがそうでないのはわかっているが、モラルのない人が多すぎる。堤防などは差詰め犬のトイレだ。草むらでバッタ捕ったり、寝っころがったりする事なんて出来ない。春にツクシやヨモギが生えていても採る気もしない。食べるなんてとんでもない。犬の糞をほったらかしにしている飼い主の方、自分の家がきれいならそれで良いなんて思わないでください。
テレビっ子 ― 2006年09月26日
今うちにはテレビがない。正確に言うと、受信できない。だからテレビ放送を見ることができない。もうそろそろ一ヶ月になるが、無ければないで、それなりに過ごせるものだ。それは、子供が小さいので、自分の好きな番組をほとんど見ることがなかったし、どうしても見たいものは、厳選して録画していたので、テレビが見られなくなっても、それ程苦痛にも感じないのだろう。これが一人暮らし時代なら、とてもこうはいかなかったと思う。
さっさとアンテナつけりゃいいと思うのだが、今だからこそ、そしてこの地域だからこそ困った状況があるのだ。それは「地上アナログ放送と地上デジタル放送の切り替えの過渡期である」と言うことと、「住んでいる場所が、テレビの難視聴地域である」と言うところにある。
今から25年ほど前に、うちの近くにニュータウンという団地集落が出来た。これらの建物が、テレビ電波を妨害し、うちの地域はテレビの映りが悪くなってしまった。だから無料で、共同アンテナにより、ケーブルで各家庭に放送を送ることになったのだ。で、うちも最初はそのケーブルを引いてもらう予定だった。ところが、当時より後から出来た家には、工事費として31500円かかるという。さらに、地上デジタルはサポートしない。すなわち、2011年7月になると、ケーブルでの配信は終わる予定だと抜かしている。業者が言うには、地上デジタルの電波は強いので、このあたりも難視聴地域ではなくなると国が言っている、尚かつ、補助金も出なくなる(こちらの方が止める大きな理由だろう)そうだ。だからこの辺では、2011年までにUHFアンテナを新たに立てなければならない。
それならUHFアンテナを立てればいいのだが、それで見るためにはデジタル・チューナーの付いたテレビ、もしくは受信機が必要になってくる。DVDレコーダーにデジタル・チューナーが付いているが、それでは使い勝手が非常に悪いし、W録とは言え、アナログ・デジタルのチューナー搭載だから、裏番組の録画もできない。
じゃあ、ケーブル・テレビがあるさと思ったが、ケーブル・テレビは、テレビ一台に付き一つの契約。今後テレビが増えた場合、金がかかりすぎる。しかし、色々調べてみると、ケイ・オプティコムのeo光テレビだと、一台契約すれば、基本のチャンネルは、5台まで見ることができることがわかった。ただし、やっぱり普通のチャンネル見るのに、一台分の金がかかる。どうしたもんだろう。
2011年に終了するのがわかっているが、31500円を払って、共同アンテナにして、その後UHFのアンテナを立てるか。31500円と言っても、今からだと月に換算すると500円切るしね。ギリギリになって、デジタルのサポートも始まる可能性も、無いとは言えない。
もしくは、UHFのアンテナを立てて、不自由ながらDVDレコーダーのチューナーで見る。共同アンテナが終わると仮定すると、コストパフォーマンス的には、これが一番安い。ただ、大阪の知り合いの家では、デジタル・テレビを買ったが、近くのマンションのせいで映らないそうだ。デジタル放送は、アナログと違い、きれいに映るか、全く映らないかのどちらかなので、近くの建物にじゃまされていたら悲惨である。大阪の街中でそうなのだから、電波の弱そうなうちのあたりはかなり怪しい。
または、ケーブル・テレビに入るか。
もうちょっと悩むところなので、テレビの導入は、ますます遅れそうだ。
サイコキのライブ ― 2006年09月30日
無意味にギターの多いバンドが終わり、サイコキの出番。真っ赤な衣装のHirockちゃん、最初はちょっと緊張からか、あんまり動きもなかったけど、後半はピョコピョコと本領発揮。次はメロディーヌみたいに、もっと跳ねて欲しいな。佐藤様☆のギターもいい音してた。さっきのバンドのギター3本分の働きは充分してるぞ。ソロは、個性と言えば個性だけど、もうちょっと練った方がいいかな。ゆうくんは、黙々とベースを弾いている姿が決まっていた。
以前のがむしゃらに演奏していた頃から比べると、曲やアレンジにも幅が出てきて、楽しいライブだった。このまま、どんどんオーディション合格するんだ、がんばれサイコキ!
で、その後はセンベーさんと呑みに行ったのであった。
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