Brendaナイト ― 2006年10月01日
例のごとく子守があるので、開演の7時には無理と思っていたが、何とか間に合うことが出来た。会場はすでに満員、KISSの出演者はすでにメイクまでしている。私もKISS出演者だが、今からメイクしている雰囲気ではなかったので、素顔時代のキッスと言うことにしておいた。
今回私がエントリーしたのはドラム。土曜日のイベントは、なかなか開演時間に行くことが難しいので、出演を躊躇していたら、ギターはアッという間に埋まってしまった。ドラムエントリーがMFCオーナーとTOMさんだけだったので、それじゃあと、思い切ってドラムにエントリー。ところがTOMさんが、やっぱり叩けないとリタイヤし、ぼじおくんがエントリーしてきたので、上手い人に挟まれて、夢にまでうなされる状態になってしまった。幸いBrendaさんが、遊びだからいいのよと言ってくれたので、気楽に出ることにした。
気楽にとは言え、ドラムなど高校時代からまともに触ったことがない。高校時代には家にもらったゴミのようなドラムがあったので、それで2〜3ヶ月練習したことはあったが、一曲通してバンドでやるのは、初心者セッションに次いで二度目。前回はその場で飛び入りだったが、今回はちゃんと仕込まなければいけない。音源に合わせて家でエアドラムよろしく練習するが、やはりぶっつけというのは危ないので、当日の昼スタジオRAGで、初めてドラムの個人練習に入った。スタジオで本物のドラムを叩いて思ったのは・・・「足ダル〜」、一曲もまともに叩けなかった。エア・ドラムでの「何とかなるさ」と言う訳の分からない自信は、ことごとく崩れてしまったまま、スタジオを後にした。
ブライアン・ランチwith Brendaのタイトな演奏が終わり、Aerosmithからスタート。みんな卓越した演奏の中、印象に残ったのがSallyさんの歌った「Dream On」。後半のシャウト部分、Sallyさんがシャウトする姿と声に、とても味があって良かった。それから世界の料理ショーのような、カネルとうちゃんの「Walk This Way」。あの早口の英語の歌詞を、よどみなく歌うのはさすがネイティブ・アメリカン(インディアンではありません)。しかし外国人は得だ。立っているだけで絵になる。グラサン掛けるだけでCIA、喪服を着ればMIBだ。
今回Aerosmithではエアロさんが、BCRでは皇帝が、KISSではs@moさんが、それぞれVシェイプのギターを持参。みんな変形ギターもってるんだな〜。極めつけはエアロさんのポール・スタンレー・モデル。カッコええ〜!!ほしい〜!!
そして、私がエントリーしたBCR。「Rock'n Roller」を叩くが、構成めちゃめちゃで、見事にみんなを迷宮に誘ってしまった。途中Brendaさんが何度も振り向き「チャウチャウ」と指示を出してくれたが、元に戻らず。その他の曲は、ぼじおくんが叩いたので、何とか無事終了。ろくまん曰く「あいつら(BCR)の演奏やから、軽い軽い」と言うことだったが、やってみると、以外と難しいことが発覚。「レコードは、本人がやってへんさかいな」と言う結論に至った。Brendaさんが会場に「黄色い声が足りないわよ」と呼びかけたが、よたろう皇帝、ろくまん、私と、ヴォーカル以外が髭面のおやじ達では、失禁どころか尿漏れがいいところだっただろう。次回があれば、お面でもかぶるか。
新生Brian Lunchのパワーアップした演奏が終わり、いよいよKISS。MFCオーナーの「You want the best, you got the best, the hardest band in the world, KISS!!」のアナウンスで「Detroit Rock City」が始まった。この曲で私はヴォーカルにエントリー。事前にカラオケで練習したときに、あまりの出来なささにガックリ。オクターブ下げて歌おうと思っていたが、Sally親方のシャウトに感激し、負けていられない!と、シャウトしてみた。自分の声が全然聞こえなかったので、音程が合っていたかも不明だが、とても気持ちよかったのでヨシとしよう。
皇帝の渋い歌も終わり、いよいよのこり2曲。そのトリのドラムを勤めさせてもらった。と言うか、最初到着時間が遅くなると言ってたので、後に回されただけだったけど。でも、トリと言うことで、責任重大。まずは「God Of Thunder」s@moさんとTOMさんがきっかけなどに気を使ってくれるが、なかなか飲み込めずに終了。途中びびってドラムのおかずも押さえ気味にしてしまった。さて、最後の「Rock'n Roll All Nite」大盛り上がりで終わろうと、ドラムからスタートするが、イントロの一小節飛ばしてしまい、ちょっとこけた感じのスタート。ギターのエアロさんとりゅうへいくんが上手くカバーしてくれた。ヴォーカルのよっしい☆もノリノリで、何とか乗り切れたかな?しかし、足疲れた。
大盛り上がりで終わったBrendaナイト。終わってみて、KISSとAerosmith聴いてみようかなって思ったが、二週間後にロジャバリン・ナイトのQueenが控えているので、そちらに切り替え。
終わってから、ぼじっちーにツインバスなどのアドバイスを受け、さらに磨きを掛ける決意をするのであった。しかし、今回ドラムをやって思ったのが、かなり冷静でないと出来ないな〜ってこと。ギターだと、プレイに入り込むとかするけど、ドラムでそれやってたら、すぐどこ叩いているのかわからなくなりそうだ。だから、常に進行を気にしてやらなければいけない分、熱くなりにくいパートなんだと思った。バンドをやる上では、他のパートで演奏するのも、なかなか勉強になるもんだ。それから、出だしのカウントが結構緊張する。これも慣れれば関係ないのかな。まあ、ドラムはバンドの骨だと言うことがよくわかった。これからも牛乳飲んで、たまに骨太ドラムを叩いてみたいなぁ。
疑惑の動物園 ― 2006年10月02日
7月の話だが、妹家族と京都市動物園に行った。暑い日に動物園に行くと、動物たちはたいがい昼寝してる。そりゃそうだろう、夏休みに子供が見に来るからって、動物たちがサービスしてくれるわけもない。でもこの日は、暑かったにもかかわらず、結構みんながんばって起きててくれた。目の前で象が山盛りウンコしたので、チピラは大喜びだった。でも、一番のお気に入りは猿山で、飽きずにずっと見ていた。
ハ虫類館には、3メートルくらいの結構大きなワニもいた。入り口には写真の張り紙が。でも、いくら動かないからって、そんな張り紙はないだろう。じゃあ、何がにせもんなんだ?
本当に来るのか?Foreigner来春来日?? ― 2006年10月03日
「哀メロ天国」でおなじみのジャスミンさんとこの掲示板を、半年ぶりくらいに、何気なく覗いてみたら、なんと!えんどれすさんと言う方が「Foreigner来春来日予定」の情報を書き込まれているではないか!!早速プロモーターのザック・コーポレーションのページを確認。どうやら本当らしい。
今年の春には、会場やプロモーターも決まらずに、スケジュールだけ公式サイトに入っており、全国のフォリナー・ファンを騒然とさせ、いつの間にか予定が消えており、これまた全国のフォリナー・ファンをガッカリさせてくれたが、今度は実現しそうだ。情報によると、「I Wanna Know (What Love Is)」が映画「M」の挿入歌になったりしているそうで、ジャーニーよろしく、一気に来日まで持って行く算段なのだろうか。情報が欲しけりゃ、空メール送れとのことだが、広告メールばかり来るんじゃないだろうな。「こんにちは、フォリナーは中止になりましたが、tATuが来日しますよ」なんて情報送られても困るしな〜。と言う訳で、まだメールは送ってないけど、もしかしたら、このメールの反響次第で来日を考えるということか???う〜ん、送ろかな〜。
ちなみに東京公演しかないみたいだ。来年はみんな東京に集結だ!
ロックTeeバトン ― 2006年10月04日
今年の5月にドロたんからもらったこのバトン。実はロックTee(注)は1枚しか持っていない。ジャーニーのエスケイプのジャケットの七分袖の奴だ。後は妻が持っているYesのTee。キャミソールもあるが、私が着るわけにはいかない。という訳で、今回公開するのは、昔持っていたフォリナーのプロヴォカトゥールのTee。では!
1.貴方の一番お気にのロックTを画像入りで紹介願いたい。
お気に入りだったので、かなり着たおして、黒も白っぽくなり、いつの間にか捨てられていた。
2.その愛すべきロックTとは何処で出会いましたか?
スーパー・ロック'85の会場で。確か2500円だった。背中には、出演者が書いてあったと思う。多分、初めて買ったロックTeeだ。次が3年前に買ったジャーニーの。
3.そのロックTを着ていて一番思い出に残ってる事
写真はスペインにいた時の物。22歳の時だが、説明しないと、わからないかもしれない。左隣にいるのは、デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズのヴォーカルに似た、イタリア人のお友達。右隣は、たまたまそこにいたスペイン人。夜の河原へ遊びに行った時の写真だと思う。
4.こんなロックTが欲すぅぅいいいーーーっ!
このTeeは、また欲しいな。フォリナーのオフィシャル・サイトで販売しているので、買うかもしれないな。「4」のTeeもあったら欲しい。オフィシャル・サイトにもあるが、品質が悪そうなのでダメ。SabinaのTeeもあれば買うぞ。昔から、あんまり欲しいと思わないのだ、ロックTee。でも、お手軽なステージ衣装として、最近はちょっと欲しくなっているかな。来日のときに買おうかな。
5.このバトンを絶対受け取って貰いたい人
う〜ん、賞味期限が切れているので、これで終わり。あっ、結構Teeやオサレに詳しいろくまん、やってみるか?それから、この前新品のTeeやらジャージやら着ていた陰陽師やっさんも。がんばってくれ。
(注)Tee、Tシャツのこと。フォリナーのオフィシャル・サイトで、こういう書き方をしていた。
ポキール星人 ― 2006年10月05日
先日、犬のおしっこの被害について書いたが、あれからお向かいさんが溝でさせている姿を見ていない。気をつけている訳でもないので、遭遇しないだけかと思っていたが、最近臭いも消えてきた気がする。
さすがに溝で大量にさせるのはヤバいと、家で処理するようにしてくれたのか。それとも場所を変えたのか。もしや、このblogを見たのか?いや、一般ピープルの振りをして暮らしている私の正体が、そんな簡単にばれる訳がない。家で処理してくれるならいいが、場所が変わっただけなら、新たに被害者が出る訳だから、その辺は考慮していただきたい物だ。もしかすると、気温が下がって臭いが出にくくなっただけかもしれないので、油断はできないな。もし変えてくれたのなら、ありがとうございました。
この家は、東京で勤めていた時の通勤途中にあった。南青山と言うおしゃれな街にあるこの家、ポキール星人にそっくりなのである。
ポキール星人というのは、昔「燃えるお兄さん」という漫画で、地球制服を企んでいた宇宙人キャラ。ポキール星人は、犬のウンコが大好物で、道に落ちているウンコを見つけると、我先にと拾って食べてしまう。何とも・・・なキャラなのだ。こんなのがいると、さぞ街がきれいになるだろうと考えがちだが、反対にウンコを放っておく口実を与えるような物で、逆に増えるのがオチだろう。
そんなポキール星人に似ているこの家の住人が気になったが、ついに見ることはなかった・・・。
オスカル ― 2006年10月06日
7月に上げようと思っていて、すっかり忘れていた。スペインでのホーム・ステイ先の息子オスカルの13歳の誕生日の一コマ。
写真は右から、お母さんのドミ、娘のクリスティーナ、息子のオスカル、遊びにきていたドミの姪のマリ・フロール、おばあさんのロサ、ホーム・ステイ中のハワイ出身モアナ、そして私。写真を撮ったのは、ホーム・ステイ中のドイツ人マンフレッドだ。スペインでの写真は1500枚くらいあるが、ほとんどが風景や他人を撮った物で、自分が写っているのは少ない。ロックTeeの写真も、結構貴重?な物だ。
この家族、お父さんはいない。なぜいないのかは、最後まで聞くことができなかった。スペインで離婚ができるようになったのは1981年からなので、離婚したとは考えにくい。だとすれば、亡くなったんだろうか。でも、それらしき写真も無かったし・・・。4年前に行った時は会えなかったので、次ぎに行ったときには聞いてみよう。
お父さんがいないので、一家を支えるのはお母さん。留学生のホスト・ファミリーとして生計を立てている。一緒に暮らしているのは子供2人とおばあさんの計4人、そして留学生達。だいたい2〜3人の学生達がいた。だからこの家には、いつも6〜7人が暮らしていたことになる。スペインの住宅事情は、町中はほとんどがマンションだ。この家もマンションの5階。そんなに多くの学生を受け入れているのだが、3LD+Kと、部屋数がある訳ではない。私が最初に到着した時は、学校から連絡が行ってなかったようで、お前の部屋は無いと言われた。学校からの書類を見せると、確かにうちの家だと、オスカルの部屋をさっさと片付け提供してくれた。慣れた物だ。いくらホーム・ステイとは言え、よその家の中をあれこれ見て回るのもいやだったので、私はほとんど自室とリビング、たまにキッチンに行くくらいだった。
最初は、家族がどこで寝ているのか謎だった。だって、一部屋は私専用、もう一部屋は他の留学生が使っている。もう一部屋は、ちらっと見たことがあるが、六畳くらいにベッドが一つあるだけで、そこにはおばあさんとクリスティーナの寝室のようだった。だいぶ後で気がついたが、キッチンから続くベランダにベッド用のマットがあった。そう、ドミとオスカルはキッチンで寝ていたのだ。それに気づいた時、とてもショックだった。日本では自分の部屋もあり、暖かい布団もある生活が当たり前だった。でもここでは、生活するために家族は一つのベッドを分け合い、どこから来たのかもわからない外国人にいきなり部屋を与えてくれる。もちろん学生は学校からの紹介だし、それが仕事なのだが、そんなことを思うと、とても複雑な気持ちになった。
その家には6月から9月まで4ヶ月いた。家族はみんな明るい、と言うか、いつも怒鳴り合ってた。仲が悪い訳ではなく、何かにつけてでかい声になる。私は彼らのしゃべっていることは全くわからず、おまけに学校の予習と宿題で、結構部屋に閉じこもることが多かった。そんな私を見かねてドミは「外へ行って、女の子でも引っ掛けてこい!」なんて言ったりしてた。実際ヨーロッパの他の国の留学生は、バカンスのついでに来ていることもあり、みんな良く遊びに出ていた。私も週末にディスコに行くこともあったが、彼らのように毎日とはいかなかった。今考えると、もったいない話だ。
ホーム・ステイは当たり外れがあり、何度かホスト・ファミリーを変えたという人も少なくない。それを思うと、私はとてもすばらしい家族に巡り会えたようだ。10月からサラマンカを離れ、グラナダに住むことに決めていたが、出発の一週間くらい前から「何でアンダルシアに行くの、ずっとこの家にいればいいじゃない」と再三言ってくれた。
4年前に訪ねた時は、その家には誰もいなかった。学生の世話は別の人に任せているようで、ドミとおばあさんは、サラマンカ郊外の町にいた、クリスティーナは他の町に嫁ぎ、オスカルも他の町で暮らしていると言う。町並みは当時と変わっていなかったが、そこには当時の暮らしが無いことに時の流れを感じ、自分の帰る場所も無くなったようで寂しくなった。でも、それぞれが幸せに暮らしていることを考えると、嬉しくもあった。次に会えるのはいつになるかな。
金魚すくい ― 2006年10月07日
今日は保育園の運動会。でも、もう二人とも出番は終わった。幼児組は、最初にちょちょっとお遊戯とかけっこやって、そのまま解散。園庭が狭いので、観客を少なくしたいのと、赤ちゃん達は観戦に耐えられないからとの配慮による物と思う。
明日は御香宮の祭りだ。神輿や花笠、武者行列などがあちこち練り歩く。夜店は先週の土曜日からやっていた。今日と明日は混むので、水曜の夜にあらかじめ連れて行った。ちょうど雨上がりで人も少なく、快適だった。昔は雰囲気が好きで、少ないお金で何をするか慎重に選びながら、2時間も3時間もうろうろしてたけど、今はお参りして、おしまい。チピラが金魚すくいをしたがったので、店を選ぶ。
最近の金魚すくいは「遊び」と「すくい」があり、遊び用のポイは丈夫にできていて、破れにくい。そのかわりお土産金魚はなし。すくい用は普通のポイだが、すくえなくても2匹もらえる。店によって値段がまちまちで、入り口の金魚すくい屋は300円ではお土産無し。500円だとお土産ありだ。すくえないのはわかっているので、300円でお土産ありの店を探す。
境内の中程にあったその店は、一つは普通の金魚。もう一つはひらひらのきれいな金魚だった。それぞれ300円と500円。遊び以外なら、どちらも2匹もらえる。きれいなのもいいなと話していると、おっちゃんが「単価の高いのはこっち(きれいな方)、丈夫なのはこっち(普通の方)。こっち(きれいな方)は、どうしても弱いで」と、安い方を勧める。なんて商売気の無いおっちゃんだ。チピラはがんばって一人ですくうが、1分もたずに終了。おまけで3匹くれた。いいおっちゃんだ。
その後スマートボールをして、アメをもらってご機嫌で帰る。金魚は、水槽じゃなかったので、2日で死んでしまった。水槽を買ってきて、またチャレンジするかな。
F1観戦 ― 2006年10月08日
今日、鈴鹿でのF1開催がひとまず終わった。来年からは富士になるそうだが、コースが昔と同じなら、マシンとタイヤの性能差で勝敗が決まりそうで、つまらないな。その鈴鹿で初めてF1が開催された年に、スペイン・グランプリを観ることができた。
開催地はJerez De La Frontera(へレス)。ここはシェリー酒の産地として、世界的に有名だ。サラマンカからバスで6時間かけてSevilla(セビージャ)に行き、そこからバスを乗り換えて1時間ほどでその小さな田舎町に着いた。スペインでもかなり南にあるヘレスは、9月も終わりというのにかなり暑い。サーキットは町から10kmほど郊外にある。交通手段はバスかタクシーだが、F1開催だというのに、臨時バスも無い。町が盛り上がっている訳でもない。そう、観客が少ないのだ。スペインはオートバイのレースは小排気量において、アンヘル・ニエトだとかホルヘ・マルチネス・アスパルだとかのスター選手が多く、DerbiやJJコバスなどのメーカーも活躍しており、絶大な人気を誇っていたのだが、ことF1に関しては、いつもドベが定番のアドリアン・カンポスしかいなかった。それに入場料もバイクの約2千円に対し、F1が約1万円と高価だったこともあるかもしれない。
土曜日の予選と日曜日の決勝を観た。予選では帰りのバスがなかなか来ないので、10kmの道のりを歩いて帰った。途中ヒッチハイクを試みるが、誰も停まってくれなかった。翌日の決勝、疲れが出たのか寝過ごしてしまった。あわててバス停に行くが、何か様子が違う。予定のバスに余裕で乗れた。実は前の日でサマータイムが終わったので、一時間遅くなっていたのだ。間先場所は、2〜3コーナーと4コーナーが見渡せるところ。金網も低く結構近くで観ることができた。応援するのは、やはりこの年からF1に参戦した、日本人初のF1ドライバー中嶋悟である。
誰が優勝だったか、中嶋がどうなったかも憶えてないけど、バイクに続き(これはまた後日)F1も観戦できた喜びに、旅の疲れも吹っ飛ぶのであった。
今調べたら、優勝はマンセル、中嶋は9位完走だった。
ヘレスの天使達 ― 2006年10月09日
スペイン・グランプリ予選の土曜日、バスがなかなか来ないので、サーキットからヘレスの町まで10kmを歩いて帰った。途中ヒッチハイクを試みるが、誰も停まってくれず。ドイツなどでは、ヒッチハイクは盛んらしいが、スペインではあまりやる人もいない。だからなかなか停まってくれない。制限速度100km/hの一般道をのんびり歩く。町まで何にも無い、荒涼とした道を2時間ほど歩いて、やっと町外れの団地までたどり着いた。
スペインの町は、歴史的な建物がある旧市街はそのままにして、郊外に新しいマンションが造られる。そこも、いわば新興住宅街。サーキットでも結構歩いた上、10kmの道のりを歩いてきただけに、さすがに疲れた。原っぱで休んでいると、子供達が物珍しそうに寄ってきた。最初は3人くらいだったが、友達を呼んできて、あっという間に6〜7人になった。名前は?とか、どこから来たとかいろいろ質問攻めにあい、最後には石をつかんで「これは日本語でなんて言うの?」と聞いてきた。教えてやると、じゃあこれは?それは?あれは?と見えるものの名前を手当り次第に聞いてくる。次々答えるけど、大変だ。
30分ほど遊んだだろうか。「じゃあ行くね」と言うと、落ちていたガラスを拾って「これを僕たちの思い出にもって帰って」と差し出した。すると他の子達も石ころなんかを拾ってもってくる。さすがにそんなのいらないので「それより、君たちの写真を撮って、思い出にするよ」と記念写真を撮ることにした。一枚撮ると「あっ、あの子写ってなかった」とまた友達を呼んできて撮影。長く手を振って別れた。
子供達にとっては、聞いたことも無い国から来た外人と話したと、一週間くらいは話題にしてくれたかな。
生き物がいるということ ― 2006年10月10日
子供達の手の届かないように、キッチンのカウンターに水槽を置いた。泳ぎ回る金魚を、何となくボーッと見てしまう。動く物に目がいくのだろうか。それは、つけっぱなしのテレビと似ているのかもしれない。ヨースティーもご飯を食べながら、たまに手を止めジーッと見ている。ちっちゃな金魚が増えただけだが、結構変わったような気がする。
チピラは、夜店の金魚が死んだとき「何で死んだの?」と何度も訪ねてきた。これで、少しずつでも命の尊さなんかを学んでくれたらいいな。でも、いくらでも買い足すことができるから、ちょっと無理かな。妻は犬や猫(私は猫はいらないけど)を飼いたいらしいが、まだまだ先かな。やっぱり生き物の世話って大変だからね。
これも先日書いたが、向かいの犬のオシッコ、臭いがしなかったのは、気温が下がったからだった。この前、夕方出かけるので玄関に出たら、ちょうど向かいの奥さんが犬を連れて出てきたところだった。「こんにちは」「こんにちは」と挨拶するなり、真っ先にうちの前の溝でオシッコをし始めた。苦笑いをするお向かいさん。ここは言っとかなければと「すいません、ここでワンちゃんのオシッコしてもらうと、かなり臭うんですけど」「え?後でちゃんと水撒いてますよ」(水撒きゃいいって問題じゃないだろ)「いや、水撒いてもらっても、この溝、水が流れてないので、たまってて、乾いたらやっぱり臭うんです」「あ、そうなんですか。それじゃあ他でさせるようにします」(他でさせても、困る人が変わるだけだろ)と言ってると、犬は踏ん張っているのか、奥さんズルズル引きずられて、オシッコがふたの外にはみ出て地面を流れ始めた。「あっ、出ちゃった」と奥さん。「量がちょっと、多いんでね・・・。溝にいつも水が流れてたら、まだいいんですけどね」(ほんとはよくないけど。うちは便所じゃないんだよ)「あ、ここ水が流れてないんですか」(下見りゃわかるだろ)「そうなんですよ」「小さい頃からここでしてるので、つい・・・」「そうですか」「・・・」「・・・」犬、まだオシッコ止まらず。「ワンちゃん、なんて言う名前なんですか」「ロクマン(仮名)です」「へぇ〜、なんて言う種類ですか」「ロジャバリンさんところと同じ種類です(婉曲あり)。盲導犬とかにも使われてるやつです」「へ〜、それじゃあ賢いんですね」「いえ、うちのは頭悪いんですよ〜」(そりゃ飼い主に似るんだ。ちゃんとしつけりゃ賢い犬なのに)・・・犬、まだ放尿を続ける。・・・「ははは」「ははは」・・・。ここでやっと放尿終了、家に戻って行った。で、すぐに奥さんバケツにくんだ水をもってきて流し始めた。「すいませんね〜」って、こっちが謝る必要ないのにね。
今朝、表に出たら、ちょうど向かいのみぞ蓋のところでオシッコをさせているのに遭遇。その家の奥さんは、結構キツそうなので、見つけたらかなり言うかもしれないな〜。でも基本的に、そんな大量のオシッコを自分の家でさせないのが悪い。水流そうが消毒しようが、いい気持ちがしないこともわからないようじゃダメだね。うちの子達もそこで遊ぶし、同い年くらいの子供がいるにもかかわらず、そんなことしている神経がわからない。自分の家以外は便所だと思っているんだろうな。今頃、こんなこと言われた、うるさい人やね、嫌な感じとか言われているんだろうか。この町内は、そこの一族が多いけど、一族内で話して「いや、それはお前が悪いよ」と言ってくれる常識人がいればいいんだけど。また今後気をつけなきゃ。
去年の「札幌ライブレポ」以来「心の叫び」を使ったな〜。
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