楽しかった日々2009年07月08日

 北山のライブハウスBBA閉店を知ったのは、日曜の朝だった。11日は久々のセッション。ご無沙汰なので、今年中には、何かしたいと思っていたが、まさか閉店になるとは。なんとも言えない脱力感に襲われた。様々な人がBBAから出発し、育って行った。ろじゃばりんさんが書いていた通り、まさに聖地だった。私もBBAで育てられた一人だ。

 考えてみると、BBAはいい加減だった。だが、そのゆるさが我々にとって良い加減だった。なんにも知らない私のような素人が、いい加減なことをやっても、許してくれるおおらかさがあった。そして、誰でもできるんだ。できることをすればいいんだと言う自信を与えてくれた。

 ゆるキャラと言える笑顔のマスター。本当にいつも笑顔で我々を迎えてくれた。そして我々を見守っていてくれた。このマスターがいたからこそ、BBAにこれだけの人が集まり、楽しめたのだと、今更ながらその人柄に感謝する反面、都合のいい時だけ甘えて、存続の力になれなかったことが悔しくてならない。

 BBAは遠かった。京都に住む私でさえ、大阪に出るのと変わらない位時間がかかった。駅から遠すぎとぶつぶつ言いながら、それでも通った。だって、BBAがそこにあるから。BBAは暖かかった。北山と言う寒冷地にありながら、どんなに凍てつく日でも、扉の向こうには暖かい笑顔、熱い演奏があった。夏の暑い日でも、BBAのステージでかく汗は心地よかった。

 BBAと言えば、プロデューサー・ナイトだった。普段はできないような曲をやる楽しさ、ぐちゃぐちゃでも楽しかったし、思いもよらずきっちりできたものもあった。プロデューサー・ナイトが始まった頃、立て続けに子供が生まれたこともあり、ほとんど手伝えなかった。参加できても後半だけと言うことが多かったが、子供たちも少し成長し、そろそろプロデューサーできそうかなと思っていたのに、それも叶わぬ夢となってしまった。

 音楽に関しては無知だったので、かなりの有名曲でも知らないのがほとんど。それでも演奏しないことには仲間に入れないので、セッションでは、余りそうな曲にエントリーして、必死でコピーした。慣れてくると、結構手抜きや一夜漬けも憶えたりして(笑)それなりに鍛えられた。その経験は、かけがえの無いものとなった。

 多くの知り合いもここから生まれた。信頼し、尊敬できる人たちとも出会えたし、傷つけられたりもした。それは、音楽のおかげでとか、音楽があったからとは思わない。だが、BBAのおかげであるのは間違いない。我々の聖地、原点、ホーム。いつもそこにあると思っていた、あって当たり前と思っていたBBAが無くなってしまう。無くなって、初めてその存在の大きさを実感する皮肉さ。心に開いた穴は、しばらくは埋まりそうに無い。

 今月末で、営業を終えるBBA。11日のセッションに顔を出すが、次の週も2日間、お別れイベントが組まれている。20日には顔を出せるだろう。そして、心に刻んでおこう。ありがとう、BBA。何よりも、マスター始め、そのご家族に感謝しきれない。ありがとうございました。いつかまた、みんなで集い楽しめる時が来ることを祈りたい。

コメント

_ ルールー ― 2009年07月08日 10時06分15秒

BBAが閉店・・・ほんとに残念ですよね。

思えばわたしがFOREFINGERに加入させてもらったきっかけも、BBAのセッションからでしたし・・・

残念ながら11日のセッションも19・20日のイベントも行けませんが、わたしの分も最後のBBA、楽しんできてください!!

_ 忍者 ― 2009年07月08日 13時56分50秒

ルールーさん
BBAが他と違ったのは、その自由度と言う懐の深さですね。我々にとっては、発表、実験、練習の場でした。

最後、胸に焼き付けてきます。

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