アイ・ワナ・ノウ...122010年08月20日

カッコいいけど、紙ジャケ直挿入はやめて欲しい・・・

脳腫瘍の手術から奇跡的にカムバックしたルー・グラムですが、2003年、再びフォリナーを去ってしまいました。ヴォイス・オブ・フォリナーを失い、またもや解散状態にあったバンドですが、ミック・ジョーンズの元に、ジェイソン・ボーナムが一緒にやりたがっているという連絡が入り、ジェイソンをドラマーとして迎え、ヴォーカルに元ハリケーンのケリー・ハンセン。ベースに元ドッケンのジェフ・ピルソン。ギター&サックス&フルートetc.にはトム・ギンブル。キーボードには、以前から活動をしているジェフ・ジェイコブズというメンバーで、2005年より新たなスタートを切りました。

初めてケリー・ハンセンの歌声を聞いたのは、フォリナーのオフィシャル・サイトでした。「ロング・ロング・ウェイ・フロム・ホーム」他数曲を聴く事が出来ました。その時の感想は「ルーそっくり!」。ヴァン・ヘイレンの例外もありますが、スティーヴ・ペリーの亡霊に縛られるジャーニーのように、フォリナーもルーに似た声を探したのでした。

復活後は、昔の曲を演奏するライヴ・ツアーを行い。2007年3月には待望の来日。興奮のステージを見せてくれました。しかし、未だ現役ならば、やはり新作が聴きたい。でも、それは期待半分で、新譜が出たとしても、やっぱり昔の曲がいいとなるんじゃないか・・・そんな心配もありました。2008年に発売されたベスト盤「No End In Sight」に新曲「Too Late」が収録されていました。それは、何か懐かしい感じのするフレーズでした。でも、それで終わりなのか、このまま哀メロ・バンドとして余生を過ごすのか(笑)そう思っていた2009年、実に14年振りとなるフル・アルバムが発売されました。

  • 「キャント・スロー・ダウン(Can't Slow Down)」
  • 1.キャント・スロー・ダウン(Can't Slow Down)
  • 2. イン・ピーセズ (In Pieces)
  • 3. ホエン・イット・カムズ・トゥ・ラヴ (When It Comes To Love)
  • 4. リヴィング・イン・ア・ドリーム(Living In A Dream)
  • 5. アイ・キャント・ギヴ・アップ(I Can't Give Up)
  • 6. レディ(Ready)
  • 7. ギヴ・ミー・ア・サイン (Give Me A Sign)
  • 8. アイル・ビー・ホーム・トゥナイト (I'll Be Home Tonight)
  • 9. トゥー・レイト (Too Late)
  • 10. ロンリー (Lonely)
  • 11.アズ・ロング・アズ・アイ・リヴ(As Long As I Live)
  • 12.エンジェル・トゥナイト(Angel Tonight)
  • 13.フール・フォー・ユー・エニーウェイ(Fool For You Anyway)

過去のリミックス、最近のライヴDVD併せての3枚組という豪華版。そこには、余生を過ごすなんてまっぴらさ。ロックに生きる、ゆっくりなんかしてられない、全速力だぜ!と言う意気込みの感じられる曲が詰まっていました。1曲目の「Can't Slow Down」のイントロは、初めて「Dirty White Boy」を聴いた時の感動を呼び覚ましてくれました。そして「In Pieces」「When It Comes To Love」と続くスローなナンバーでもだれる事無く、最後まで一気に駆け抜けていきました。全盛期に勝るとも劣らない、すばらしいアルバムに、彼らの底力を見せつけられる思いでした。

フォリナー。それは、70年代後半〜80年代にマルチ・プラチナを連発したクラシック・ロック・バンドから、2000年代に見事よみがえり、加速し続けていくバンドとして活躍をしてくれることでしょう。

アイ・ワナ・ノウ...112010年08月16日

この頃は、ステージもメタルっぽかったです

ヴォイス・オブ・フォリナー:ルー・グラムと再びタッグを組むことになったミック・ジョーンズですが、オリジナル・メンバーだったドラマーのデニス・エリオットと、ベーシストのリック・ウィルスが脱退。レコード会社もアリスタに移籍しました。

  • 「ミスター・ムーンライト(Mr. Moonlight)」
  • 1. ホワイト・ライ(White Lie)
  • 2. レイン (Rain)
  • 3. アンティル・ジ・エンド・オブ・タイム (Until The End Of Time)
  • 4. オール・アイ・ニード・トゥ・ノウ (All I Need To Know)
  • 5. ランニング・ザ・リスク (Running The Risk)
  • 7. ビッグ・ドッグ(Big Dog)
  • 6. リアル・ワールド(Real World)
  • 8. ホール・イン・マイ・ソウル (Whole In My Soul)
  • 9. アイ・キープ・ホーピング (I Keep Hoping)
  • 10.アンダー・ザ・ガン(Under The Gun)
  • 11. ハンド・オン・マイ・ハート (Hand On My Heart)
  • 12. クラッシュ・アンド・バーン (Crash And Burn)

アルバムは全米136位。シングルは「White Lie」「Until The End Of Time」「Under The Gun」がリリースされましたが、チャートに入ったのは42位の「Until The End Of Time」だけでした。しかし、ヨーロッパでは人気があり、「Unusual Heat」は、全英56位。スイスでは8位。「Mr. Moonlight」は全英59位、ドイツ21位、スイス17位を獲得しています。

このアルバムもほとんど聴き込んでないのですが、しょっぱなの「White Lie」は大好きです。これを聴いて、おお!フォリナー復活だと思ったのですが、後の曲が続かなかった・・・。中には「Big Dog」と言う、実験的な曲もあるんですが、その他は普通って感じですね。これがリリースされたのが1995年。80年代に隆盛を極めていたハード・ロックバンドはことごとく無くなったころですか。しかし、黄金コンビ復活で、再始動したフォリナーですが、突然の不幸が襲ってきたのでした。

1996年、大阪梅田のライブ・ハウス、ヒート・ビートの柿落しをフォリナーが勤めることになっていました。ところが、日本へ出発の前日、ルー・グラムに脳腫瘍があることがわかり、急遽来日公演はキャンセル。幸い腫瘍は良性のものでしたが、手術で脳下垂体に損傷を受け、長いリハビリ生活を強いられました。その影響からか、かなり太ってしまい、声にも影響を及ぼしてしまいました。しかしルーは、1999年フォリナーに復帰。2002年までツアーを続けました。

余談ですが、ドラマーのデニス・エリオット。フォリナーをやめた後は、工芸作家として全く別の道を歩んでいます。


デニス・エリオット公式ページ

ミュージシャン時代から、工芸、主に木工作品も制作していたようで、数々の賞や個展、美術館などで作品展示もされているようです。それも、スミソニアン博物館で展示会を開催したり、モンデール駐日大使公邸へ、木のボウルを貸し出したり、スター・トレック・ヴォイジャーのセットの壁の彫刻をしたりと、かなりの成功を収めているようです。鶴太郎は芸術家と呼びたくありませんが、デニス・エリオットは芸術家と呼んでもいいです(爆)

アイ・ワナ・ノウ...102010年08月13日

急ごしらえだったのか・・・なんともなジャケです

ジョニー・エドワーズをヴォーカルに迎えてのアルバム「Unusual Heat」のセールスは、よくありませんでしたが、ミック・ジョーンズは、それはエドワーズのお披露目のようなもの。続いてアルバムを作ろうと思っていた時、ルー・グラムから連絡が入りました。二人は話し合い、そしてあっさりとルーの復帰が決まったのでした。そして新曲を含んだベスト盤がリリースされました。

  • 「アンド・ビヨンド(The Very Best... And Beyond)」
  • 1.ソウル・ドクター(Soul Doctor)
  • 2. プリズナー・オブ・ラヴ (Prisoner Of Love)
  • 3. ウィズ・ヘヴン・オン・アワー・サイド(With Heaven On Our Side)
  • 4. ジューク・ボックス・ヒーロ(Juke Box Hero)
  • 5. ホット・ブラッデッド(Hot Blooded)
  • 6. つめたいお前(Cold As Ice)
  • 7. ヘッド・ゲームス (Head Games)
  • 8. ガール・ライク・ユー (Waiting For A Girl Like You)
  • 9. アージェント (Urgent)
  • 10. ダブル・ヴィジョン (Double Vision)
  • 11. アイ・ワナ・ノウ (I Want To Know What Love Is)
  • 12. セイ・ユー・ウィル (Say You Will)
  • 13. イエスタデイ (That Was Yesterday)
  • 14. ウィズアウト・ユー (I Don't Want To Live Without You)
  • 15. レヴ・オン・ザ・レッド・ライン (Rev On The Red Line)
  • 16. ダーティー・ホワイト・ボーイ (Dirty White Boy)
  • 17. 衝撃のファースト・タイム (Feels Like The First Time)

全米チャートでは123位というものでしたが、売り上げは200万枚以上を記録しました。ベスト盤ですが、「Soul Doctor」「Prisoner Of Love」の新曲は強力で、これらを聴くために買っても損は無いと言うくらいです。そして、それは、フォリナー・サウンドと言うにふさわしいものでした。

アイ・ワナ・ノウ...92010年08月11日

ケネディ?

ルー・グラムが抜けた後、フォリナーはリード・ヴォーカリストとして、ジョニー・エドワーズを迎えました。バンドにとって、リード・ヴォーカリストが替わると言うことは、顔が替わる。すなわち、全く別のものになってしまう可能性が高く、それは非常に大きな賭けとなります。ですから、スティーヴ・ペリーの亡霊に取り憑かれたジャーニーのように、次々とスティーヴ・ペリーに似た声のヴォーカリストを起用するのが、リスクを小さく抑える方法のひとつとなります。いや、この場合、取り憑かれているのはリスナーの我々の方かもしれませんが。

リード・ヴォーカリストが替わっても、第一線で活躍しているバンドにヴァン・ヘイレンがあります。初代ヴォーカリストのデイヴ・リー・ロスからサミー・ヘイガーに替わって初のアルバム「5150」はNo.1を取りました。奇しくもミック・ジョーンズは、このアルバムのプロデューサーを務めており、その時の経験が、今回のアルバムに活かされたと言います。しかし、セールスは全くふるわない結果となりました。

  • 「アンユージュアル・ヒート(Unusual Heat)」
  • 1. オンリー・ヘヴン・ノウズ (Only Heaven Knows)
  • 2. ロウダウン・アンド・ダーティー (Lowdown And Dirty)
  • 3. アイル・ファイト・フォー・ユー (I'll Fight For You)
  • 4. モーメント・オブ・トゥルース (Moment Of Truth)
  • 5. マウンテン・オブ・ラヴ(Mountain Of Love)
  • 6. レディー・フォー・ザ・レイン (Ready For The Rain)
  • 7. ホエン・ザ・ナイト・カムズ・ダウン (When The Night Comes Down)
  • 8. セーフ・イン・マイ・ハート (Safe In My Heart)
  • 9. ノー・ヒディング・プレイス (No Hiding Place)
  • 10. フレッシュ・ワウンド (Flesh Wound)
  • 11. アンユージュアル・ヒート(Unusual Heat)

アルバムは全米117位。シングル「Lowdown And Dirty」は初の圏外でした。

これを聴いた感想は・・・う〜ん、ジョニー・エドワーズは、悪くはないんだけど、なんか「ガツン!」と来るものが無い。それは、ヴォーカルに関してなのか、曲に関してなのかはわかりませんが、なにか「普通」に聴こえてしまいます。新しいロゴも、ナイト・レンジャーの出来損ないみたいだし(笑)まだまだ聞き込み不足なのでしょうか・・・。

アイ・ワナ・ノウ...82010年08月06日

リンダ・ロンシュタット?

昼間は絞れるほど汗をかき、夜は健康のためにと、クーラーのタイマーを1時間にセットして寝ても、タイマーが切れたら、暑さで起きてスイッチを入れ直し、結局よく寝られない夜を過ごす。そんなアンユージュアル・ヒート(Unusual Heat)な日々が続いていますが、今回はインサイド・インフォメーションについてです。

音楽的意見が合わなくなったミック・ジョーンズとルー・グラム。その後ミックは、ヴァン・ヘイレンのアルバム「5150」のプロデュース。ルーは、自身のソロ・アルバム「レディ・オア・ノット」の製作と、別々の活動にかかっていました。そして、フォリナーでの新譜が出たのが、前作から3年後の1987年でした。

  • 「インサイド・インフォメーション(Inside Information)」
  • A面
  • 1. ハート・ターンズ・トゥ・ストーン (Heart Turns To Stone)
  • 2. キャント・ウェイト (Can't Wait)
  • 3. セイ・ユー・ウィル (Say You Will)
  • 4. ウィズアウト・ユー (I Don't Want To Live Without You)
  • 5. カウンティング・エヴリ・ミニット (Counting Every Minute)

  • B面
  • 1. インサイド・インフォメーション (Inside Information)
  • 2. ビート・オブ・マイ・ハート (The Beat Of My Heart)
  • 3. フェイス・トゥ・フェイス (Face To Face)
  • 4. アウト・オブ・ザ・ブルー (Out Of The Blue)
  • 5. ナイト・トゥ・リメンバー (Night To Remember)

アルバムは、全米15位。100万枚のセールスと、彼らとしてはふるいませんでした。しかしシングルは「セイ・ユー・ウィル」が全米6位。「ウィズアウト・ユー」が全米5位を獲得。「ハート・ターンズ・トゥ・ストーン」が全米56位でした。

このアルバムは、プロヴォカトゥールのゴージャスな印象から一転、ギター・メインのナンバーが中心でした。ルーはそれに満足したのかと言うと、そうではなく、二人の溝は、別々の仕事をすることで深まってしまったようです。ルーは単にスタジオに来て、用意された演奏で歌うと言う、まるでゲストのように製作されたそうです。シングル・カットされた「Say You Will」の歌詞「Say you will, say you won't, make up your mind(イエスかノーか、答えを出してくれ)」とは、まるでルーに訊いているようでもあり、その答えとして、彼はフォリナーを去ってしまうのでした。しかし、アルバムの出来としては、ストレートなサウンドに戻ったと言うこともありますが、楽曲を見てもかなりよいアルバムです。

なんて偉そうに書いていますが、このアルバムが発売された1987年、私はスペインにいました。その後、スペインのロック/ポップスにはまり、確かレコードは持っていたはずですが、ほとんど聴かず。実際にちゃんと聴いたのは、4年ほど前のことなのでした(笑)

アイ・ワナ・ノウ...72010年07月30日

このTシャツ。ボロボロになるまで着てました。

前作「4」から3年半。その間に、ロサンゼルス・オリンピックの公式アルバムで、マラソンのテーマ「ストリート・サンダー」で参加したりしましたが、やはりリリースに間が空いた最大の理由は、プロデューサーの交代があったからでしょう。当初のプロデューサーは、イエスの「ロンリー・ハート」を手がけたトレヴァー・ホーンでした。ところが、ミックス・ダウンまで済んでいたテープをボツにして、新たにアレックス・サドキンを迎えてやり直したのでした。

  • 「プロヴォカトゥール(煽動)」(Agent Provocateur)
  • A面
  • 1. トゥース・アンド・ネイル (Tooth And Nail)
  • 2. イエスタデイ (That Was Yesterday)
  • 3. アイ・ワナ・ノウ (I Want To Know What Love Is)
  • 4. グローイング・アップ (Growing Up The Hard Way)
  • 5. リアクション・トゥ・アクション(Reaction To Action)

  • B面
  • 1. ストレンジャー・イン・マイ・オウン・ハウス (Stranger In My Own House)
  • 2. ラヴ・イン・ヴェイン(A Love In Vain)
  • 3. ダウン・オン・ラヴ (Down On Love)
  • 4. トゥー・ディファレント・ワールド (Two Different World)
  • 5. シーズ・トゥー・タフ(She's Too Tough)

1984年リリースのこの作品は、全米4位。300万枚の売り上げでした。シングルは、「アイ・ワナ・ノウ(I Want To Know What Love Is)」で、念願の全米1位を獲得。続く「イエスタデイ(That Was Yesterday)」は全米12位。「リアクション・トゥ・アクション」「ダウン・オン・ラヴ」は、共に全米54位にとどまりました。

前作でのシンプルさからガラッと変わった、飾り立てられた音と言うのが、このアルバムの印象です。関わった二人のプロデューサーが手がけたのが、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドやデュラン・デュランと言うことから見ても、当時の音を取り入れたかったことはわかりますが、今までの路線とは、良くも悪くも変わってしまったことは否めません。ミック・ジョーンズも「新しいおもちゃを手に入れた子供みたいだった。ちょっとのめり込み過ぎてたね。」「最先端にこだわるあまり、ある意味行き過ぎてしまった。」と語っています。もっとロックの本流を行く音にしたかったルー・グラムとミック・ジョーンズの意見が合わなくなってきたのもこのアルバムからでした。しかし、リリースされたこの作品を聴くと、トレヴァー・ホーンのプロデュースは、一体どんだけやってたんだ?って興味もあります(笑)たぶん、今までとは全く違ったものだったんでしょうね。あちこちでオーケストラ・ヒットが鳴ってるとか(笑)

一般には、「ガール・ライク・ユー」のヒット以降、バラードが増えたと言われますが、収録曲を見ても、特にそうは思えません。彼らも、ソフト路線にチェンジしたと思われることは避けたかったようです。ただ、「トゥース・アンド・ネイル」や「リアクション・トゥ・アクション」など、ハードないい曲もあったのですが、シングル・カットされたのがバラード中心だったのは残念ですし、方向転換したと取られても仕方ありませんでしたね。これらのバラードに走ったから、人気が落ちたのだという意見もありますが、三ヶ月近く2位を記録したり、No.1になるような曲が原因で人気が落ちたとは考えにくいのです。本当は、ロックなナンバーが減った、シングルカットされなかったから、人気にかげりが出てきたのだと思います。

彼ら唯一の全米No.1ソング「アイ・ワナ・ノウ」でしたが、私は嫌いでした。ついでに言うと、「ガール・ライク・ユー」も、ジャーニーの「オープン・アームズ」も嫌いでした(爆)しかし、これらのバラードが、広い支持を受けていたのも確かで、ロック以外のアーティストがカバーしたのも、それが理由でしょう。「アイ・ワナ・ノウ」をWinkが「三日月の夜の小鳥たち」と言う題名で、日本語でカバーしていたのは、一部では有名な話です。それと、「アイ・ワナ・ノウ」のコーラスには、トンプソン・ツインズのトム・ベイリーが参加しているそうですが、どこに入っているんだろう(笑)

アイ・ワナ・ノウ...62010年07月28日

ELOのUFOもジュークボックスがモチーフだったな

連日、体温並の暑さに、日中はタオルが絞れるほど汗をかき過ごしていますが、夜はついクーラーの助けを借りてしまいます。ところが、それが悪かったのか、ここ10日ほど咳が止まりません。はぁ〜、ゲホゲホ。

さて第3回フォリナー・セッション in Osaka開催まで、後1ヶ月となりました。続々とエントリーも入り、これからラスト・スパートがかかる時期です。迷っているなら、とりあえずエントリー!

  • 「レコーズ」(Records)
  • A面
  • 1. つめたいお前 (Cold As Ice)
  • 2. ダブル・ヴィジョン (Double Vision)
  • 3. ヘッド・ゲームス (Head Games)
  • 4. ガール・ライク・ユー (Waiting For A Girl Like You)
  • 5. 衝撃のファースト・タイム(Feels Like The First Time)

  • B面
  • 1. アージェント (Urgent)
  • 2. ダーティー・ホワイト・ボーイ (Dirty White Boy)
  • 3. ジュークボックス・ヒーロー (Jukebox Hero)
  • 4. ロング・ウェイ・フロム・ホーム (Long, Long Way From Home)
  • 5. ホット・ブラッデッド(ライブ)(Hot Blooded)

「4」の翌年、フォリナー初のベスト盤「レコーズ」をリリースしました。ジュークボックスをモチーフにしたジャケットは、窓が開いていて、インナーに印刷された曲目が覗くと言う、ちょっと凝ったものでした。このアルバム、トップ20ヒットが10曲中9曲。トップ10ヒットに絞っても6曲と言う、これぞベスト盤と呼ぶにふさわしいものでした。収録されているのは、アルバムとはアレンジなどを変えたシングル・ヴァージョン。さらに「ホット・ブラッデッド」はライブ音源を収録と言う、今までのファンも納得の内容でした。その効果かどうか、売り上げは700万枚を記録しています。

アイ・ワナ・ノウ...52010年07月26日

シングルのジャケットも1から始まってます

デビューから立て続けに数百万枚の売り上げを誇るアルバムを出し続けてきたフォリナーですが、この4枚目のアルバムで大きな転換を迎えました。オリジナル・メンバーであり、ある意味このバンドの目玉だったイアン・マクドナルドと、キーボードのアル・グリーンウッドが脱退したのです。

デビュー当初から注目されていたイアン・マクドナルドですが、曲作りという点では、それほど貢献していませんでした。それよりも、共同プロデュースやフルート、サックスの演奏が彼の持ち味でした。しかしその武器も、前作では聴く事が出来ません。ミックの話によると、イアンはフルートやサックスなどより、ギターをプレイしたがった。結局彼の一番の持ち味を出さなくなった。アル・グリーンウッドについても、同様の理由で辞めてもらったと語っています。

Wikipediaのダリル・ホールの話によると、スタジオにはイアン・マクドナルドとアル・グリーンウッドの二人が来て、彼らが帰ってから他のメンバーが来て作業していたけど、そのうち二人とも来なくなったそうな。別々に作業してでも、作品を作りたかったのか、それとも追い出したかったのかは定かではありませんが、このアルバム制作を始めた当初から関係がよくなかった事は、この話でもわかります。そして二人とも脱退となりました。脱退に関して似た話、どこかで聞いたことがある・・・。思い出した。チューリップの財津和夫がアマチュア時代に使った手だ(爆)当時財津は、よそに上手い人がいると、強引に引き抜いて、ダメだと思うと、嘘の練習場所を教えて辞めさせていったと言う逸話がありました(笑)

  • 「4」
  • A面
  • 1. ナイト・ライフ (Night Life)
  • 2. ジュークボックス・ヒーロー (Jukebox Hero)
  • 3. ブレイク・イット・アップ (Break It Up)
  • 4. ガール・ライク・ユー (Waiting For A Girl Like You)
  • 5. ルアンヌ (Luanne)

  • B面
  • 1. アージェント (Urgent)
  • 2. アイム・ゴナ・ウィン (I'm Gonna Win)
  • 3. ウーマン・イン・ブラック (Woman In Black)
  • 4. ガール・オン・ザ・ムーン (Girl On The Moon)
  • 5. ドント・レット・ゴー (Don't Let Go)

メンバーが4人になって4枚目だから「4」。一番有名なメンバーの脱退と言う、ネガティブなイメージが先に立ったこのアルバムですが、全米で700万枚(全世界で現在まで1500万枚以上)そして10週連続1位と、彼らの最大のヒット作となりました。

シングル・カットは「アージェント」が全米4位。そして、オリビア・ニュートン・ジョンの「フィジカル」とホール&オーツの「アイ・キャン・ゴー・フォー・ザット」に1位の座を阻まれ、10週連続2位を記録した悲劇のシングル「ガール・ライク・ユー」。その後も「ジュークボックス・ヒーロー」「ブレイク・イット・アップ」が共に全米26位。ここまでシングル出したら、全部行っちゃえ!って感じで出した「ルアンヌ」が全米75位でした。

おしくもNo.1を取れなかった「ガール・ライク・ユー」の製作にはこんな事があったそうです。ある日ミックが弾いていたピアノのメロディーが、どこかオリエンタルな雰囲気で、とても印象に残ったルーは、こっそりそれを録音しておきました。そして、「ガール・ライク・ユー」のサビで行き詰まったミックに、そのテープを聴かせて曲が出来上がったそうです。

私が好きなのは、ちょっと今までとは毛色の変わった「ブレイク・イット・アップ」。この曲は、化粧品「インウイ」のCMに使われ、テレビで流れる度に喜んでいました(笑)

4人になったからという訳ではないでしょうが、サウンドはギター主体に、結構シンプルに聴こえます。シンプルに聴こえますが、結構ギターも重ねてあり、特に「アージェント」などは、3〜4つの単音リフのアンサンブル。ディレイも絡んだシーケンシャルなフレーズに絡むサックスが、機械的雰囲気を絶妙な感じで和らげていますね。

結構硬派な印象のアルバムですが、「ガール・ライク・ユー」の驚異的なヒットが、その後のバンドの方向を決定づける事になったのでした。

アイ・ワナ・ノウ...42010年07月20日

このシャツの生地って・・・欲しい・・・

今回は、フォリナーの要であるミック・ジョーンズについて見てみましょう。フォリナーでデビューする前にも充分な経歴があり、そこへ行き着くまでは長い道のりがあったようです。

ミック・ジョーンズは1944年英国出身。レス・ポールに憧れ、10代にはバンド活動をしていました。やがてバンドは、フランスへ渡り活動を続けます。その後シルヴィ・バルタンのバンドに参加。初めての大舞台は、1964年のビートルズのフランス公演の前座でした。その公演で、彼のギターのストラップが切れ、ギターを落としてしまい、思わず英語で「#%$&*!」と叫んでしまいました。すると、その場にいたジョン・レノンが「お前イギリス人かいな!」と声をかけ、ビートルズが滞在した2週間あまり、同じホテルを手配してくれ、部屋でジャムったり、オフも行動を共にしたそうです。

その後ミックは、シルヴィ・バルタンの夫、ジョニー・アリディのバンドへ移りました。曲作りも精力的に行い、アリディのフランスNo.1シングルのうち3曲は彼のペンによるものでした。アリディは、自身の音楽性を高めるべく、ミックにアメリカでオーティス・レディングのバンドと作業させたり、イギリスで、まだセッション・ミュージシャンだったジミー・ペイジとジョン・ポール・ジョーンズと一緒にバンドを組ませてレコーディングをしたりしました。

フランスでポルシェを乗り回し、ゴルフ・コースがある郊外に家を持つほどに成功を収めたミック・ジョーンズは、ある日ゴルフをしながらふと考えました。「俺の人生これでええのか?24歳やのに、もう隠居生活やんか!」(私ならそれでいいと思いますが)そう思ったミックは、さっさとフランスに見切りを着け、イギリスへ戻ったのでした。

イギリスに戻ったミックは、スプーキー・トゥースの復活の手助けをする事になります。そして、スプーキー・トゥースでアルバムを3枚出しアメリカへ進出しますが、その後バンドは解散。その間にピーター・フランプトンの「ウィンド・オブ・チェンジ」やジョージ・ハリスンの「ダーク・ホース」のレコーディングに参加したりもしました。一時演奏活動を離れた後、レスリー・ウェストのバンドでギターを弾いたりもしましたが、そのバンドも長続きしませんでした。

仕事を失ったミックは、次にどうするか考えました。とりあえず曲を書き貯め、そろそろ自分のバンドを持ってみようかとメンバーを募りました。それが後にフォリナーとなります。デモ・テープを作り、レコード会社へ売り込みましたが、ことごとく断られたそうです。デビューする事になったアトランティック・レコードにも、一度断られています。ところが、たまたま彼らのテープを聴いたアトランティックの重役が、「このカセットにはNo.1ソングが入ってるよ!」と、一転契約、デビューとなりました。

その後の活躍は、フォリナーのアルバムで紹介している通り。ミックはバンド以外でも、ヴァン・ヘイレンの「5150」、ビリー・ジョエルの「ストーム・フロント」などプロデューサーとしても手腕を発揮。フォリナー休止中は、エリック・クラプトンの「バッド・ラヴ」を共作したり、ビル・ワイマンズ・リズム・キングスでプレイしたりしていました。そして2005年にジェイソン・ボーナム、ケリー・ハンセンらを迎えフォリナーを本格的に復活させ、2007年には来日公演。2009年には、14年振りの新譜を出し、今も精力的に活動を続けています。

アイ・ワナ・ノウ...32010年07月08日

どう言う状況なのか、いまだに謎のジャケット

日々進化と言うか、試行錯誤で変わっていく第3回フォリナー・セッション in OsakaのHP。まだまだ参加受付中!

1979年、3枚目となるヘッド・ゲームス (Head Games)をリリース。このアルバムから、ベーシストが元ロキシー・ミュージックのリック・ウィルスになります。インパクトのあるジャケット・デザインがキリスト教徒の反発を招き、出荷停止になった地域もあったそうです。それが影響したのが、売り上げは前作ほど伸びず300万枚(現在まで500万枚以上)にとどまりました。それでも、アルバム・チャートは全米5位まで上がりました。

  • 「ヘッド・ゲームス(Head Games)」
  • A面
  • 1. ダーティー・ホワイト・ボーイ (Dirty White Boy)
  • 2. 真夜中の電話 (Love On The Telephone)
  • 3. 女たち (Women)
  • 4. 反逆の夜 (I'll Get Even With You)
  • 5. 17 (Seventeen)

  • B面
  • 1. ヘッド・ゲームス (Head Games)
  • 2. モダン・デイ (The Modern Day)
  • 3. 科学の影に (Blinded By Science)
  • 4. 灰色の別れ (Do What You Like)
  • 5. レヴ・オン・ザ・レッド・ライン (Rev On The Red Line)

彼らのアルバムで、私が最初に買ったのがこのヘッド・ゲームスでした。1曲目の「ダーティー・ホワイト・ボーイ」のイントロを聴いたときの衝撃は、忘れられません。カッコ良かった。イントロと言えば「反逆の夜」と「ヘッド・ゲームス」の練り込んだイントロは最高です。一方、今までのヒット・アルバムに対してのメディアの反応、いわゆる産業ロックと言うレッテルを気にして、「ダーティー・ホワイト・ボーイ」「女たち」「17」などのストレートな曲調のものも取り入れたとミックは語っています。また、クイーンやジャーニーのプロデュースで有名な、ロイ・トーマス・ベイカーを起用した事により、今までより明るく仕上がっており、バランスの良い出来だと感じるアルバムです。

シングルも「ダーティー・ホワイト・ボーイ」が全米12位。「ヘッド・ゲームス」が、全米14位。「女たち」が、全米41位でした。シングル盤で見てみると、デビューから8曲連続でTop20入りを果たしたのは、ビートルズ以来の記録だったそうで、もし「女たち」が20位以内に入っていたら、ビートルズの記録を塗り替えた事になりますね。

このアルバムから、彼らもプロモーション・ビデオを作成しています。ほとんどが、スタジオ・ライブ的なものでした。まだMTV全盛になる前でしたので、なかなかテレビで見られる機会もありませんでした。ある日、新聞のテレビ欄に「びわ湖放送:天気予報フォリナー」と書いてありました。なぜ、天気予報でフォリナー??疑問は膨らみますが、うちではびわ湖放送など映りません。しかし、テレビのチャンネルを微調整すると、点描の様な画像で受信する事ができました。そしてある日、ついに「天気予報フォリナー」を見ることができました。そこには、ヘッド・ゲームスの曲とPVをバックに流す天気予報が!苦労してやっと見られた彼らの姿は、はっきり見えなかったけどはっきり憶えています。