La Alberca2006年06月22日

ロバくんとじいちゃん。良い笑顔だ

 スペインに着くまでの話は、やっぱりまた後日と言うことで、今回は遠足の話。サラマンカでは、サラマンカ・カトリック大学の短期外国人コースに入った。基本的には一ヶ月のコース。授業とは別に、毎週日曜日にオプションの遠足がある。最初の週はAvila(アビラ)とSegovia(セゴビア)に行ったが、日本からフィルムを入れていったと思っていたカメラに、実はフィルムが入っておらず、撮った写真も何にも残っていない。だから今回は、その次の週に行ったLa Alberca(ラ・アルベルカ)〜ペニャ・デ・フランシア〜Ciudad Rodrigo(シウダド・ロドリゴ)を紹介する。

 La Alberca(ラ・アルベルカ)というこの小さな街は、住んでいたサラマンカから西へ74km。ここには今も昔ながらの家屋(京都の町屋みたいな物か)が残っている。石造りのイメージが強いスペインの建物だが、ここでは木の柱に漆喰の様な壁で、日本の家に似たところもある。小さな街の道は狭く山羊の糞があちこちにある。こちらの街の構造で特徴的な、街の中央にあるPlaza Mayor(プラサ・マジョール=中央広場)もこぢんまりとしておりBar(バル)も1軒しかなかった。地図を見ても、その小ささがわかると思う。

 バスへの帰り道、前からロバを連れたおじいさんがやってきたのでパチリ。ちょうど地図の7番と14番の間あたり。スペインでも田舎の良さが残る街だった。

Salamanca2006年05月28日

300年前も、たぶん同じ風景

 19年前の1987年5月28日。私はスペインのサラマンカへ旅立った。サラマンカは、首都マドリードから西に250キロ、スペイン最古の大学がある学生街だ。初めての海外、しかも直行便無し。パリから自力で現地まで行かねばならなかった。道中色々あったが、それはいずれ機会があれば紹介することにする。何とかたどり着き、ホームステイ先でもひともんちゃくあったが、何とか落ち着くことができたのが、日本を発ってから二日後の30日朝だった。

 その異国の地は見る物すべてが珍しく、歩いている女の子がどの娘も美人に見える。川にはローマ時代の橋が架かり、石造りの町並みは、日本家屋には無い堅牢さと力強さがみなぎっている。青い空は宇宙の色に近く、降り注ぐ太陽光線の密度も高い。町外れに行くと地平線まで道が続いている。人々はシャイでお人好し。そんなところだった。

 と言うことで、たまに私がいた時代のスペインを紹介していくことにします。

警告12006年05月24日

絵は上手いな

 みょうがさんの所で、ゴミのポイ捨ての看板がアップされていた。うちにもいくつかあるので、この機会にアップをしよう。

 もう10年ちょっと前になるか。踊りの師匠・海田さん一家4人と弟弟子イッチー、妹弟子エビとで、秩父・正丸峠にハイキングに行った。当時海田さんの子供は二人とも小学生。それほどハードなところへは行けないが、それでも10キロは歩いただろうか。

 子供達の学校では、当時ダジャレが流行っていたそうで、「布団が吹っ飛んだ」とかのベタなものから、「昨日理科ちゃんとやった?」など、意味わかって言ってるのか?と言う物までお互いに披露しあって、ケラケラ笑っていた。そこで、ベタならこれでもいいかと「魚が驚いた、ギョ!」と言うと、子供大爆笑!こっちが驚いた。で、お褒めの言葉が「忍者さん(仮名)それ学校でも受けるよ!」。学校って・・・もうすぐ30(当時)なんですけど・・・。

 看板は、下山途中の林で見つけた。みょうがさんところのと同じように「?」がついている。自分を見直せと言うことか。だが、意味が全然分からない。毛が三本と言われても、オバQしか思い浮かばないし。謎は未だに解けないままだ。

母校2006年01月27日

 神戸からの帰り道は、母校の大学の近くを通る。卒業してから一度も行ってないが、最近吸収合併されると言う話もあるし、周りも開発されて、かなり変わったという噂も聞く。ちょうどお腹も減っていたし、学食でうどんでも食べようと向かった。確かに国道から延びる道路は、メチャメチャ広くなって、家電やスーパー、ファミレスなどが建ち並んでいる。丘を超えると、向こうの山の斜面に校舎の明かりが見える。山を切り開いた住宅街の一番上にあるその姿は、それほど変わってなかった。

 上り坂の右側は昔と同じで、手つかずの土地が広がっている。もっと開発されているかなと思っていたが、それほどでもない。16年ぶりに門をくぐり、守衛室を右に曲がると、生協の前まで、ずっとバイクが並ぶ。全然昔と変わってない。が、並んでいるバイクが、全て原チャ。大型バイクが一台あったが、かわいい色の原チャがずらりと並ぶ。250すら無い。昔はもっと「単車」があふれていた。

 時刻は6時半。私が通っていた頃と同じ時間割なら、ちょうど一時間目の授業が始まったところ。二部だったので、6時20分から始まり、二時間目が9時10分に終わる。レンガ造りの建物の前は、自動販売機コーナーで、前のベンチには誰か知り合いがいて、通るたびに寄り道をしていた。中の学食へ行くが、結構人がいた。なんかこぎれいになってる。暗かった談話室も、食堂と一体になり明るくなって、お菓子なんか売っていた。ATMまである!ドアは、おお!自動ドアだ!!食器を乗せるトレイは同じ。でも、食券機がない。今は後払いのようだ。スーパーのスナックコーナーのように、きれいな写真が各コーナーの上に貼ってある。昔はガラスケースに、その日の献立そのものが飾ってあったのに、今は日替わりとか無いんだろうか?

 麺コーナーでキツネうどんを頼んだ。素うどんは、昔は90円だったが、今は税込み157円。キツネうどんは150円だったかな?今は189円とお買い得。冷えた体にうどんはたまらん。食べながら周りを見渡すが、若い子ばかり。たぶん、完全に浮いていると思う。昔、夜学はいろんな歳の生徒がいた。今の私くらいの歳の人はもちろん、会社員、銀行員、小中学校の先生、マンション管理、主婦、おじいちゃんなどいろんな職業の人がいた。もう授業が始まってしまったから、みんないないのかな?座っていると、いろんな事を思い出す。特にこの建物には、教室より長い時間いたんじゃないかな。

 ついでに学生課のあった校舎へ行く。昔は壁だったところが、今はガラスのカウンターになっていた。驚いたのは、大きな液晶かプラズマテレビが6台、壁の高いところに取り付けてあり、休講やいろいろな連絡事項がそこに映し出されていた。

 来年には吸収合併されて、この名前はなくなるらしい。本質的には変わらないが、故郷を無くしたような寂しさがある。

 帰り道、そんな言うほど変わってなかったな〜と思いながら、坂道を来た方とは反対に曲がると、すぐにモノレールの高架がドーンと通っていた。太い道路も通っている。その先には街があるんだろう。次はそっちに行ってみようと。