生き物がいるということ2006年10月10日

 先日金魚すくいのことを書いたら、Jun Greenさんが、余っている水槽を譲りますよと連絡をくれた。早速、昨日もらいに行き、買ってきた金魚を放した。魚屋(観賞魚屋?)に聞くと、水道水の塩素が魚のえらを焼くので、どうしても死んでしまうそうだ。併せて中和剤と餌、藻を買った。チピラは「金魚さんにご飯あげるの」と餌を撒く。しかし、金魚はそこにいて、浮いている餌を食べない。「金魚さん、こっちですよ、食べてください」と言うが、見向きもせず。少しすると餌が沈んで行ったので、それを食べ始めたが、そこまで待てなかった。

 子供達の手の届かないように、キッチンのカウンターに水槽を置いた。泳ぎ回る金魚を、何となくボーッと見てしまう。動く物に目がいくのだろうか。それは、つけっぱなしのテレビと似ているのかもしれない。ヨースティーもご飯を食べながら、たまに手を止めジーッと見ている。ちっちゃな金魚が増えただけだが、結構変わったような気がする。

 チピラは、夜店の金魚が死んだとき「何で死んだの?」と何度も訪ねてきた。これで、少しずつでも命の尊さなんかを学んでくれたらいいな。でも、いくらでも買い足すことができるから、ちょっと無理かな。妻は犬や猫(私は猫はいらないけど)を飼いたいらしいが、まだまだ先かな。やっぱり生き物の世話って大変だからね。

 これも先日書いたが、向かいの犬のオシッコ、臭いがしなかったのは、気温が下がったからだった。この前、夕方出かけるので玄関に出たら、ちょうど向かいの奥さんが犬を連れて出てきたところだった。「こんにちは」「こんにちは」と挨拶するなり、真っ先にうちの前の溝でオシッコをし始めた。苦笑いをするお向かいさん。ここは言っとかなければと「すいません、ここでワンちゃんのオシッコしてもらうと、かなり臭うんですけど」「え?後でちゃんと水撒いてますよ」(水撒きゃいいって問題じゃないだろ)「いや、水撒いてもらっても、この溝、水が流れてないので、たまってて、乾いたらやっぱり臭うんです」「あ、そうなんですか。それじゃあ他でさせるようにします」(他でさせても、困る人が変わるだけだろ)と言ってると、犬は踏ん張っているのか、奥さんズルズル引きずられて、オシッコがふたの外にはみ出て地面を流れ始めた。「あっ、出ちゃった」と奥さん。「量がちょっと、多いんでね・・・。溝にいつも水が流れてたら、まだいいんですけどね」(ほんとはよくないけど。うちは便所じゃないんだよ)「あ、ここ水が流れてないんですか」(下見りゃわかるだろ)「そうなんですよ」「小さい頃からここでしてるので、つい・・・」「そうですか」「・・・」「・・・」犬、まだオシッコ止まらず。「ワンちゃん、なんて言う名前なんですか」「ロクマン(仮名)です」「へぇ〜、なんて言う種類ですか」「ロジャバリンさんところと同じ種類です(婉曲あり)。盲導犬とかにも使われてるやつです」「へ〜、それじゃあ賢いんですね」「いえ、うちのは頭悪いんですよ〜」(そりゃ飼い主に似るんだ。ちゃんとしつけりゃ賢い犬なのに)・・・犬、まだ放尿を続ける。・・・「ははは」「ははは」・・・。ここでやっと放尿終了、家に戻って行った。で、すぐに奥さんバケツにくんだ水をもってきて流し始めた。「すいませんね〜」って、こっちが謝る必要ないのにね。

 今朝、表に出たら、ちょうど向かいのみぞ蓋のところでオシッコをさせているのに遭遇。その家の奥さんは、結構キツそうなので、見つけたらかなり言うかもしれないな〜。でも基本的に、そんな大量のオシッコを自分の家でさせないのが悪い。水流そうが消毒しようが、いい気持ちがしないこともわからないようじゃダメだね。うちの子達もそこで遊ぶし、同い年くらいの子供がいるにもかかわらず、そんなことしている神経がわからない。自分の家以外は便所だと思っているんだろうな。今頃、こんなこと言われた、うるさい人やね、嫌な感じとか言われているんだろうか。この町内は、そこの一族が多いけど、一族内で話して「いや、それはお前が悪いよ」と言ってくれる常識人がいればいいんだけど。また今後気をつけなきゃ。

 去年の「札幌ライブレポ」以来「心の叫び」を使ったな〜。