ソフト・ボールと懐かしい顔2006年10月29日

今日は町内のソフト・ボール大会に出た。運動会ではかなりの盛り上がりを見せたこの町内だが、ソフト・ボール大会は、動員にかなり苦労している様子だった。まあ、どこの町内もそれは一緒で、運動会では30町内くらいあったのが、今日の出場は8チーム。うちも女性を一人入れての参戦だった。

野球は小学生の頃毎日のようにやっていたが、それ以来ほとんどやっていない。一昨年、前の町内で参加した時は、結構いい当たりもしたのだが、ボールを投げる方が、もう上手く行かない。それ以前にグローブが無い。今回も、その辺を考慮したか、体格からか、初めてキャッチャーをやった。結果は、負け。やっぱり日頃からやってないと、ボールポロポロ落としたりと、守備が追っ付かない。私は、後逸だけはするまいとがんばった。おかげで楽させてもらったけど。外野なんかは大変だ。飛んできたボール追っかけて、とても5回持たないだろう。打撃は3打数1ヒット2エラーと、出塁率では10割だ。高々1試合だが、結構疲れた。でも、スポーツの疲れは気持ちいい。やっぱり運動しないといけないな〜。

その日の朝、学校の前で小・中・高と一緒だった同級生に、20年ちょいぶりに会った。彼は小学校の時からキッスやビートルズ、BCRを聴き、フォーク・ギターで、アリスなどを弾いていた。でも、二枚目ではなく、三枚目で、いつもみんなを笑わせるクラス一の人気者だった。小学校卒業の時のお楽しみ会では、彼ともう一人の友達と私の三人でギターの弾き語りをした。彼ともう一人の友達は、ギターを持っていて、上手に弾けたのだが、私は当時ギターを持っていなかった。と言うか、あんまり興味なかった。でも、彼らと一緒に何かやりたかったので、一週間で弾ける曲を教えてもらった。それは、弦一本で弾く「禁じられた遊び」。要するに、アルペジオを省略して、メロディだけ鳴らすという物。彼らがやったのは、確か「酒と泪と男と女」と「今はもう誰も」だったと思う。緊張するからと、私が最後に弾いたので、その技量の落差にみんな驚いたことだろう。思えば、これが私が最初に人前でギターを弾いた瞬間だった。次に人前で弾くのは、それから5年半後のことになる。

中学一年の時も、彼と同じクラスだった。初めてのコンサート、河島英五を観に行ったのも彼と一緒だった。でも、中学生になってからは、彼はバンドでドラムを叩いたりして、交友関係も変わってしまった。私がギター欲しいな〜と思うようになったのは、中学三年生になってからだった。小学校で一緒にやったもう一人の友達は、既にグレコのレス・ポールを持って、キッスやCharを練習したりしていた。そいつに、ギター買おうかなって思ってると相談すると、「ギターは辞めとけ。あいつやろ、あいつやろ・・・今からやっても追いつかへんで。今からやるならベースにしろ。ベースやったら、あいつとあいつしかいいひんから、三本の指に入るで」と、ありがたいアドバイスをくれた。「せやな〜」と、始める前から既に三本の指に入った気になった私は、その日から当時ヘビロテだったアルバム「Head Games」のベースラインを追うようになった。

だが、中学生に当時のベースは高すぎた。唯一の収入源がお年玉だったその頃、ベースなんてとても買えない。するとその友達は「ベースはギターの3〜6弦と同じ押さえ方やから、安いフォーク・ギターで練習したらええやん」と、近くの楽器屋についてきてもらい、ヤマハのギターを買った。そして弾き語りの本を買ってきて練習したのはチューリップだった。

話が飛んでしまったが、今日会った友達は、学生以来、仕事に追われてドラムもやっていないと言う。BBAでのセッションの話をすると「キッスか〜、懐かし〜な〜」と目を細めた。私も学生以来ほとんど活動せず、再開したのがつい4年ほど前。「一緒やで、またやろうや〜」と連絡先を聞いて別れた。彼とは楽器を始めた時期がズレていたので、バンドはおろか一緒に演奏したことも無いが、引っ張り出して、近いうちに共演できたらいいな。