生き物が死ぬということ2006年10月21日

順調に見えていた、金魚の飼育だが、日曜日に底石を入れてから、次々と体調を崩し、ここ三日で全滅してしまった。底石を入れるまでは、いったん濁った水槽の水も、古いエアストーンに着いたバクテリアのおかげか、すぐにきれいになった。物理濾過システム導入前の、底にたまった糞や食べかす対策、そして景観に配慮していれた底石だったが、それが仇となってしまったようだ。白点病らしき金魚もいたので、木曜からは塩水浴させていたのだが、残念ながらバタバタと死んでしまった。

チピラは「何で死んじゃったの?」と聞いてくるが、「病気になっちゃったから」としか答え様が無い。金魚って、こんな弱かったか?子供の頃、金魚すくいで捕った金魚は、洗面器の中で半年以上生きてたけど。

しかし残念だ。今度は数を5匹くらいに押さえて、再チャレンジしてみよう。

お買い物でR、親子祭り2006年10月22日

でもかわいいから、使うのやめようかな・・・。

昨日は保育園の親子祭りだった。いわゆる文化祭のような物。でも、子供達は親と一緒にお客様。マジック・ショーを観たり、工作、ヨーヨー釣りをして、ジュースやお菓子をもらい、カレーにたこせん、コロッケを食べて遊ぶ。2時には終わるが、なかなか疲れる。チピラとヨースティーは妻とおばあちゃんと一緒に出かけた。昼前に私と交代する。ヨースティーは、マットの滑り台で遊ぶだけだが、チピラはマジック・ショーや工作で楽しかったようだ。

そんなお祭りにつきもののバザー。妻もいろいろ買っていた。閉会時間が迫るにしたがい、だんだん値段が下がってくる。出品されている品物は、すべて父兄の持ち寄った物。だから、家で余っている食器や衣類等が中心。なぜか、ディズニー関係の小物や携帯ストラップが、数百個あったのには驚いた。誰か、そう言う仕事している人がいるのかな。うちの腐った在庫もあげても良かったけど、ちょっと保育園には合わないかな。

そんな品物ばかりなので、私は興味なかったが、後ろに置いてある小型スーツケースが気になってしまった。値段は破格の1500円。他の物が3個で10円とか、100円〜500円の中、それだけ異常に高値が付いている。気になるな〜。でも、使い道無いし・・・。もう店じまい寸前。値札の半額以下にしますと投げ売り状態だ。そうなると、誰か買ってしまうかな?と思ったが、手に取る人すらいない。しばし考え、そうだ、エフェクター入れにしよう!と決めて価格の交渉。半額の750円と言うことだ。500円で欲しかったが、売り場担当がヨースティーの前担任で、あまり値切るのもな〜、と言うことで、650円で購入。となりにあった、籐のランチ・バスケットも200円で買った。

このキャリーケース、中の生地を見ると「march」の文字が。どうやら車のマーチを買うともらえる、ノベルティーのようだ。かわいくてきれいだが、金具のメッキがちゃちなので、すぐにさびるかもしれない。今までのエフェクターのバッグは、ショルダーだったので、肩がこる。これで、重たかったエフェクターもコロコロ転がせるな。でも、市販されているエフェクターケースのように、セッティングした状態でしまえる訳ではないので、ちょっとめんどくさいかも。でも、いい買い物だったと自己満足に浸っていた。

新語探検2006年10月23日

正しい日本語を!・・・いや英語か?

日本語の乱れや英語の小学校義務化、ゆとり教育など、次代を担う子供の教育については、いつの世でも議論が絶えない。それぞれに習熟度、理解度の差があるので、画一的な物を押し付けても無理があるのはわかりきっているが、現場としては一定の基準が無いとやりにくいのもうなずける。これからそう言う場面に直面して行くだけに、ちゃんと考えておかないといけないなと思ったりしている。

健康に育ってくれればいいと口ではいいながら、やはり勉強ができるにこしたことは無いとも思ったり。少なくとも日本語がまともにできない子にはしたくないな。ただ、言葉自体、特に話し言葉は時代とともに変わって行くので、我々が話しているのが正しいとは言い切れないけど。書き言葉もかなり怪しいし・・・、やっぱり元気が一番か。

写真は、ちょっとわかりにくいけど「エクスプロ|ラ|」と書いてあります。小学生ならいざ知らず、誰も気づいてないんだろうか?そういや、極初期のワープロで、ハイフンを縦書きにした時、同じような表示になったっけ?頭もデジタルと言うことか。最近は従業員が日本人とは限らないが、他の奴が気づけよ。

水だけの水槽2006年10月24日

金魚が全滅して4日目。水槽はそのままにしてある。さっさと掃除をして、新しい水を入れて、環境づくりをすればいいのだが、濾過装置もまだ無いのでやっていない。魚のいない水槽には、藻だけがある。まあ、それもいいもんだ。「魚を飼って行き着くのは水草だ」と昔友達が言ってた。金魚達には悪いが、何となくわかる気がする。しかし、今日もチピラが「金魚さんは何で死んだの?」と聞いてきた。「また新しいの買わなあかんな」とも言っている。死ねば新しいのを買えばいい、この考えが根付くのは困る。「金魚さんは病気になっちゃって、死んじゃったんや。かわいそうやね」と説明する。「おとうちゃん、新しい金魚さん来たら、病気になったらあかんでて言うといてな」と言ってるので、次回から失敗はできないな。

濾過装置やエアレーションをどうしようかと考えながら水槽を見ていると、あれ?ちっちゃい貝がいる。??どこから来たんだ?水草についていたんだろうか。3匹ほど見つけた。う〜ん、水換えづらくなったな〜。しかし、なんと言う生命力か。何もいなくなったと思った水槽に、小さな命が生まれていたとは!!感動しながら検索すると、結構厄介者らしい。どうしよう・・・。

残らず飲み干す白い汁2006年10月25日

今日は朝から、半日ドックに行ってきた。やはり厄年、自分が思っているほど健康ではないかもしれないし、ここ10年ほど健康診断も受けてないから、思い切って申し込んでみた。健康診断や人間ドックについては、ISSIさんやメリーさんも書いていたな。まあ、みんな自分のため、そして周りのために気をつけているんだな。

今回受けた健康診断が、過去の物と違うのは、そう、胃のレントゲンがあることだ。そこで必ず語られるのがバリウム。十人が十人、口を揃えて「まずい」「飲めない」「気持ち悪い」と答える、悪名高きバリウム。今日、私もその洗礼を受けるのか・・・そう思うと緊張と不安でドキドキしてしまった。

検尿、胸部レントゲン、血圧、採血とメニューは進んで行く。視力検査に腹部エコー、そしていよいよ胃のレントゲンがやってきた。まず、胃の動きを弱める注射というのをされた。おばさんの先生が「今までこの注射で気分悪くなったこと無いですか?」「いいえ、今日初めて受けるんです」「そうですか。この注射ね、かなり痛いんですよ」・・・なんでそんな不安にさせるんだ。肩に注射される。確かに痛い。「あ〜、痛いですね」「結構来るでしょ?」来るでしょ?やないねん。「目の前が、チカチカ光ることがありますが、大丈夫ですよ」・・・大丈夫か?10分ほど待って名前が呼ばれた。

「まず、この薬をこの水で一気に飲み干してください。ゲップはしないでください」次に渡されたのがバリウムだ。うん?5センチほどの紙コップに入ったそれは、想像していたより小さかった。医学の進歩で、量も減ったのかな?と思っていたら「これを一気に飲んだ後、左前にある残りを飲んでもらいますから」見ると、牛乳瓶くらいの容器がホルダーに揺れていた。初めて飲んだバリウム。ヨーグルト味?噂ほどまずくない。絶飲食だったので、すぐ飲み干す。う、粘度が高いな。これか飲みにくさの原因は。「では、左を向いて、前にある容器をとって、一口飲んでください」また一口ゴクリ。いけるかも。そう思ったら「では、残りを全部飲み干してください」ゴク、ゴク、ゴク〜〜。うう、だんだん固体を飲み込んでるみたいな感じになってきた。しかし、おなかもすいていたので、すぐ飲み干す。ああ、口の中が粉っぽい。「では、あっち向いて、こっち向いて・・・」胃の中のバリウムをまんべんなくいき渡させるためにか、縦に横に右に左に、宇宙飛行しよろしく回転させられた。そして初のレントゲンは終わり、あれだけ減っていたおなかは、バリウムで満たされた。

最後に、明日までに出なかったら医者に行けと下剤を渡された。そんなヤバい物飲ますなよ。その後、身体測定、眼圧、眼底検査に聴力検査。バリウムは消化も早いのか、もうおなかが減ってきた。聴力検査では、検査音か自分の腹の音かわからないくらいキュルキュル言ってる。そして、最後に検診で終わり。受付で「夕方までに出なければ、追加で飲んでください」と再度下剤をわたされた。

噂に聞いていたバリウム。確かにドロドロしていて飲みにくい。でも、想像していたほどでもなかった。終わっただけで、何となく安心したが、できれば行った方がいい診療科目を告げられ、ちょっとブルーにもなってしまった。残りの検査結果は、問題なければいいのにな。

遠足2006年10月26日

アンパンマンもいるよ。でも、毎日だと大変だ。

今日は保育園の遠足だった。まだ小さいので、ヨースティーは近くの公園へ、チピラは河原のグランドへ行ったようだ。普段よりちょっと遠いので、嬉しかったみたい。それにチピラの組は、おやつも出たから。昼食は、園に帰って食べるけど、今日はお弁当。春はサンドイッチがいいって言ってたけど、今回はおにぎり。二人とも同じ大きさの弁当箱にしたようだが、どちらも完食。もしかするとチピラは足りなかったかも。でも、楽しかったようだ。チピラはグランドでサッカーをしたけど、ボール回ってこないので「おーい」とみんなを呼んでいたそうだ。帰って来てから「サッカーの練習するの」と燃えていた。

全国で、高校の必修科目について問題が出ているらしい。受験のためとなると、嘘でもまかり通るのか。確かに、一分でも受験勉強の時間が欲しいのはわかるが、だからと言って学校ぐるみで嘘ついてもね〜。いずれにせよ、受験中心の世の中に振り回されたのかな。この問題で、高校卒業が危うい生徒がたくさん出るようだが、去年までそれで卒業した生徒に、卒業資格があるのか?さかのぼって適用すると、大混乱になるだろうから、結局見逃すことになるんだろうけど、見つからなきゃラッキーなんて思わないでほしいな。

高まる隣と周囲の緊張2006年10月27日

支配者一族の保身のために打った策で、近所の怒りを買い、どうにも緊張が高まる半島だが、うちの近所でも、かなり緊張の度合いが高まりつつある。

5時前、保育園へ迎えに行こうと玄関を出たら、隣の豪邸の敷地内にある、その家の実家(正確には実家の方が古いのだから、邸宅が敷地内に建ったと言うべきか)にいる娘さんと子供がいた。こんにちはとお互い挨拶をして、その先を見ると、向かいの家の角の網の溝ブダのところで、あの黒い犬が用を足している最中だった。そして左手には、その用を足している犬と飼い主を無言で見つめる、これまた室内小型犬の散歩に出かけようとしたお向かいさんがいた。小型犬は黒犬に向かって執拗に吠え立てているが、リードを持った飼い主は無言だ。黒犬はバカ面で放尿をしており、小型犬など相手にもしてない。黒犬の飼い主は目も合わせず苦笑い。だが、お向かいさんは微動だにせず、その光景をにらんでいる。私には怒りの炎が見えた気がした。そして、その二人を見つめる実家の嫁と子供・・・。4m道路のT字路での出来事。一触即発である。

一瞬「この機会に、自分のところでさせるように注意しようか」と思ったが、あまりの緊張感に、その光景に背を向け保育園へ。歩きながら、やっぱり言っとくべきだったかなと、ちょっと後悔。しかし、お向かいさんとはろくに話もしたこと無いし、援護射撃があるかも不明。それに、よってたかって攻撃しては、どう反応するかもわからないし。できれば軟着陸させたい。ただ、お向かいさんのように「何しとんじゃ〜」目線&オーラでは、非常識相手に解決はまず不可能。やはりきっちり話し合っとく方がいいだろう。要はそのタイミングと持って行き方だ。お向かいさんは何か言ったんだろうか?しばらく、その時間帯に外の様子をうかがうか。

プチ・ピクニック2006年10月28日

土曜日は妻が仕事なので、子供達はいつも保育園に預けているが、最近チピラの甘えがひどく、寂しがっているようなので、家で遊んでやることにした。天気がいいので、サンドイッチを作ってもらいミニピクニック。歩いて15分くらいの河原のグランドに、サッカーの練習に行った。

大人が歩いて15分だが、ヨースティーをベビーカーにのせ、チピラと歩いて行くと、30分くらいかかるような気がする。国道を渡ると、堤防沿いの道には、向こうに見える大きな鉄橋までもう車は入ってこない。ここは保育園でもよく散歩に来るところ。鉄橋の近くに公園があり、そこでよく遊んでいる。今日はその向こうにある、市営グランド、通称市民グランドに行く予定だったが、案の定その公園で遊ぶと言い出し、チピラとヨースティー二人で滑り台やブランコで遊んだ。チピラはエノコロ草(猫じゃらし)を人数分とって来ては配っている。ヨースティーは結構高い滑り台に登るので、ヒヤヒヤ物。滑る時は下で受けてやらないと、そのまま地面に放り出されていた。ブランコにも一人で挑戦したいようだが、まだまだ無理。一緒に乗ってやると、チピラも乗りたいと言い三人乗りに。長袖だったので、結構汗をかいた。「今日は三人家族?」と何度も聞いてくる。本当はお母さんも一緒に遊びたかったらしい。

小さな女の子とお父さんの二人連れがやってきた。女の子は一才半。ヨースティーとほとんど一緒だが、小柄だ。チピラは女の子を見ると、タンポポを摘んであげたり、エノコロ草を摘んであげたり、やたらと面倒を見る。ヨースティーにはそんなに優しくしないのに。向こうのお父さんが、バッタを捕まえたりして遊んでもらっていた。その子が帰るときには、リンゴジュースを一つあげてバイバイした。ちょうどお昼になったので、公園でお弁当。

さあ、公園を後にしてグランドへ。途中ヨースティーは寝るかと思ったが、起きている。鉄橋を超えると、グランドへの広い道になり、グランドへ出入りする車が行き交う。今日は土曜日だったので、それほどでも無いけど、日曜日は、社会人野球の車がひっきりなしに通る。草むらからは10cmはある巨大な芋虫やけむが道を横切っている。「どうして道わたるの?」「あっちにおいしい草があるからかな、でも、車が通るから危ないね、チピも気をつけるんだよ」と言ってる間に、芋虫は車にひかれていた。市民グランドは、河川敷に5〜6面はある広い野球場。子供の頃は2面しか無く、放課後毎日のように野球をしに行ってたが、いつの間にか拡張された。小学生の頃グランドの隅に、大きくなったら掘り出そうと、ジャムの瓶を埋めたけど、そんな物どこにあるかわからないくらいだ。

そのグランドの端っこで、3人でサッカーをするが、チピラはヨースティーにボールを渡したくないので、持って逃げる。じゃあ、ボールの取り合いっこをしようと、ボールを高く投げて二人が追いかける。そのうちヨースティーが眠たくなったのか、ベビーカーに乗る仕草をするので、乗せて、ちょっとだけチピラとサッカーの練習。でも、そろそろ1時くらいになるので、お昼寝に帰ろうと切り上げた。歩いて帰れるかと思ったが、すぐに抱っこしてといい、途中で寝てしまった。片手で抱っこしてベビーカーを押すのはかなりつらい。20分くらいかかっただろうか、やっとこさ家に着き、三人で昼寝。夕方買い物に行くが、ヨースティーが、あちこち歩くと言うことを聞かないので、荷物片手に強制抱っこ。もう12kgちょいあるので、これも疲れる。それでも、家族で遊ぶのは楽しかったようだ。ああ、来週も連れて行かなければ・・・。

ソフト・ボールと懐かしい顔2006年10月29日

今日は町内のソフト・ボール大会に出た。運動会ではかなりの盛り上がりを見せたこの町内だが、ソフト・ボール大会は、動員にかなり苦労している様子だった。まあ、どこの町内もそれは一緒で、運動会では30町内くらいあったのが、今日の出場は8チーム。うちも女性を一人入れての参戦だった。

野球は小学生の頃毎日のようにやっていたが、それ以来ほとんどやっていない。一昨年、前の町内で参加した時は、結構いい当たりもしたのだが、ボールを投げる方が、もう上手く行かない。それ以前にグローブが無い。今回も、その辺を考慮したか、体格からか、初めてキャッチャーをやった。結果は、負け。やっぱり日頃からやってないと、ボールポロポロ落としたりと、守備が追っ付かない。私は、後逸だけはするまいとがんばった。おかげで楽させてもらったけど。外野なんかは大変だ。飛んできたボール追っかけて、とても5回持たないだろう。打撃は3打数1ヒット2エラーと、出塁率では10割だ。高々1試合だが、結構疲れた。でも、スポーツの疲れは気持ちいい。やっぱり運動しないといけないな〜。

その日の朝、学校の前で小・中・高と一緒だった同級生に、20年ちょいぶりに会った。彼は小学校の時からキッスやビートルズ、BCRを聴き、フォーク・ギターで、アリスなどを弾いていた。でも、二枚目ではなく、三枚目で、いつもみんなを笑わせるクラス一の人気者だった。小学校卒業の時のお楽しみ会では、彼ともう一人の友達と私の三人でギターの弾き語りをした。彼ともう一人の友達は、ギターを持っていて、上手に弾けたのだが、私は当時ギターを持っていなかった。と言うか、あんまり興味なかった。でも、彼らと一緒に何かやりたかったので、一週間で弾ける曲を教えてもらった。それは、弦一本で弾く「禁じられた遊び」。要するに、アルペジオを省略して、メロディだけ鳴らすという物。彼らがやったのは、確か「酒と泪と男と女」と「今はもう誰も」だったと思う。緊張するからと、私が最後に弾いたので、その技量の落差にみんな驚いたことだろう。思えば、これが私が最初に人前でギターを弾いた瞬間だった。次に人前で弾くのは、それから5年半後のことになる。

中学一年の時も、彼と同じクラスだった。初めてのコンサート、河島英五を観に行ったのも彼と一緒だった。でも、中学生になってからは、彼はバンドでドラムを叩いたりして、交友関係も変わってしまった。私がギター欲しいな〜と思うようになったのは、中学三年生になってからだった。小学校で一緒にやったもう一人の友達は、既にグレコのレス・ポールを持って、キッスやCharを練習したりしていた。そいつに、ギター買おうかなって思ってると相談すると、「ギターは辞めとけ。あいつやろ、あいつやろ・・・今からやっても追いつかへんで。今からやるならベースにしろ。ベースやったら、あいつとあいつしかいいひんから、三本の指に入るで」と、ありがたいアドバイスをくれた。「せやな〜」と、始める前から既に三本の指に入った気になった私は、その日から当時ヘビロテだったアルバム「Head Games」のベースラインを追うようになった。

だが、中学生に当時のベースは高すぎた。唯一の収入源がお年玉だったその頃、ベースなんてとても買えない。するとその友達は「ベースはギターの3〜6弦と同じ押さえ方やから、安いフォーク・ギターで練習したらええやん」と、近くの楽器屋についてきてもらい、ヤマハのギターを買った。そして弾き語りの本を買ってきて練習したのはチューリップだった。

話が飛んでしまったが、今日会った友達は、学生以来、仕事に追われてドラムもやっていないと言う。BBAでのセッションの話をすると「キッスか〜、懐かし〜な〜」と目を細めた。私も学生以来ほとんど活動せず、再開したのがつい4年ほど前。「一緒やで、またやろうや〜」と連絡先を聞いて別れた。彼とは楽器を始めた時期がズレていたので、バンドはおろか一緒に演奏したことも無いが、引っ張り出して、近いうちに共演できたらいいな。

初バンド、その前2006年10月30日

昨日、初めてのギターのことを書いたので、ついでに初めてのバンドについて書こう。

フォーク・ギターでチューリップや河島英五を練習し、なんとか曲も弾けるようになるまで半年ほどかかった。一緒にギターを買いに行った友達は、別の高校に進学したが、大半の友達は同じ高校に進学した。高校生ともなると、聞くのはほとんどロックになっていて、やっぱりエレキが欲しくなってきた。その頃愛読していたギター・ブック(やっぱりアコギ系)の新製品情報に、35000円のギターが紹介してあった。おお!私の知っている中で、最安値だ。早速楽器屋に走った。だが、色が赤と青しか無かった。今の私なら、迷わず赤を買うが、シャイな高校生は「赤か青か〜、派手だな〜」」。そう言うと店員さんは、来週これの上級機種で茶色も出るよと教えてくれた。値段も40000円の2割引。そして、一週間後そのギターを手に入れた。人に貸して、ボロボロになったけど、今でもたまに使ってる。(でも、今は甥っ子に貸し出し中)

その頃は、バンド活動などせず、一人でジャカジャカ、いやアンプ通してないのでシャカシャカ弾いていた。一年生の終わり、最後の道徳の時間に好きなことをやらせてもらえたので、ギターのうまい奴がバンド演奏をやりたいといい、それが採用になった。彼は中学生の頃から、上手いと評判で、バンド活動もしていた。しかし、同じクラスにはメンバーがいなかったので、私にベースをやらないかと誘いがかかった。題目は「横浜銀蝿」・・・バンドでやってみたかった私に、選択の余地はなかった。元々三本の指に入るベーシストを目指していた私は、すぐにOK。ドラムは全くの初心者を抜擢。そいつの友達の美人ベーシストに(他校だったのがもったいない)ベースとアンプを借りて、その日から特訓が始まった。ギターの奴が、メジャーのパターンはこう、マイナーのパターンはこうと、結構理論的に教えてくれたのは驚きだった。やっぱり彼は上手いのだ。練習帰り、夜の無人駅で楽器出して練習したりと、ほのぼのした時代だった。

そして迎えた道徳の時間。無事演奏は終わった。緊張したかも憶えてないな。一応アンコールが来たので、上手くいったんだろう。そう言えば、その時のアンコールのジョニーBグッド、ドラムが叩けないと言ったので、代わりに叩いたのが、ソフト・ボールであった奴だった!一度共演してたんだ。

長くなったので、自身のバンドは明日。