リサイクル2006年10月11日

木造じゃこうは行かない

ヨーロッパの建物は、大体が石造りだ。巨大な大聖堂や宮殿、堅牢な城を見ると、とにかく圧倒されてしまう。日本にも立派な城や塔があるが、層で作られたそれとは違い、中身もがらんどうで「箱」って言う感じだ。南ヨーロッパ以外は地震の心配が無いので、構造上建物内部の空間が広くとれるのだろう、とにかく大きい印象がある。そして町に建つ家々もまた、古い物が多い。

私がいた、スペイン・サラマンカはこじんまりとした町で、特にマジョール広場を中心とした旧市街の美しさはすばらしく、世界遺産に登録されている。私のいた翌年、1988年に登録されたところを見ると、選考にかなりの影響を与えたのではないかと、自らの功績にちょっと満足したりしている??

そんな古い町並みを保存するのは、かなり大変だろうと思われる。実際、マジョール広場の建物にあるペンションなどは、結構ひどいところも多い。そんな中、学校のすぐ近くの家を解体していた。外壁には、一つ一つに石に番号がふってあり、その向こうは、既に取り壊されている。新たに建てるときに、パズルのように番号順に組み立てて行くんだろう。そうすれば、中身は新しいけど、町並みは保存できる。こういう時、石の建物って便利だ。なるほど、こう言う手もあるんだな。中身まで保存の必要がない建物は、こうして景観を保っているようである。

京都でも町家を再生し、残そうという動きもあるが、財政的、そして素材が木という耐久的な問題、また、同じ物を建て直そうにも、建ぺい率や容積率といった法的な問題などで、なかなか難しいようだ。だからでこぼこと、新旧入り乱れた家が建ち並ぶ。寺や神社のように何百年も経っている物もあるが、それは定期的に補強、修理などのメンテナンスを施してあるからで、一般家庭では難しい物がある。町家は住んでみたいけど、それらのことを考えると、とても手が出ない。他人事だから、次々壊すな!って言いたいけど、仕方ない事情もあるから、あまり勝手なこと言うのはやめよう。まあ、観光都市なら、最悪倉敷のような場所を作ることくらい、京都市は考えた方がいいかもしれない。

プラド美術館展2006年10月12日

隣の人がつぶやいた「裸に真珠つけるか〜」

 今日は天王寺にある大阪市立美術館に「プラド美術館展」を観に行った。15日に終わるので、駆け込みだ。平日だからすいていると思ったが、結構な人だ。それでも東京のこの手の展覧会よりましかな。

 私は絵画に深い造詣がある訳ではないので「上手やな〜」程度にしか眺められなかった。出展作品は16〜18世紀、エル・グレコリベラムリーリョベラスケスルーベンスゴヤ等巨匠の作品も多い。半分が宗教画、半分が宮廷の王やその家族の肖像画だ。当時の画家達の最高峰が宮廷画家だと言うことを考えると、当然だろう。

 ヨーロッパを旅行した時、特に絵が好きって訳でもないのに美術館に行った。まあ、ガイドにも載ってるし、行くところも無いし、だいたい学生はただだったし。額を前にして、手持ち無沙汰なので腕組みなどしてみる。一人なので、口は真一文字。近くで観て、ちょっと離れてみて、時々訳も無くうなずいたりしてみる。「ふ〜ん」くらいしか思ってなくても、なんか鑑賞した気分だ。プラドにも何度か足を運んだが、絵画の知識など全くなかった私が気に入ったのが、ゴヤの作品だった。初期の明るい色調から、だんだん精神世界の闇に入って行く後期。他の作品が、宗教画や宮廷がばかりが目立つので、それらとは違う作風に惹かれたのかもしれない。

 スペインはマリア信仰が盛んで、聖母マリアを描いた作品も多い。特にムリーリョの描いた「無原罪の御宿り、エル・エスコリアル」の聖母マリアは、とってもかわいいので大のお気に入りだった。だが、人気のモチーフだけに、ムリーリョも数点描いており、行くたびに展示替えしたりしてり、そのかわいいマリアに会えなくて、残念な思いをしたこともあった。だが、今回、私のお気に入りの聖母マリアが日本に来ていたのだ。うれし〜!プラドでは、結構高い位置に展示してあるが、今回はより近くで観られた。ああ、行ってよかった。

 お土産コーナーで、アルファベットのタイルを組み合わせた表札を買った。今まで表札が無かったが、これでかわいいのができたな。

 15日(日)までなので、まだの方は是非私のマリア様に会ってきてください。チケットは、天王寺駅2階のチケットぴあで買うと、前売り料金で買えます。

Who's Crying Now.2006年10月13日

 13日の金曜日ということで暗い話題を。

 今年の一月に当てられて壊れていたバイク。請求してくださいと言われてはいたが、取引先なだけに請求しづらい。そうこうしているうちに夏も終わり車検が近づいてきた。いよいよ修理に出さなければと、バイク屋にもって行くことにした。

 バッテリーはすっかり上がっているので、ケーブルでつないでセルを回す。始動は悪いが、なんとかかかった。ケーブルを外すと、一分ほどで止まる。しょうがないな〜と、再度ケーブルをつなごうとして、キャブレターのあたりから漏れる液体を発見。ガソリンだ!キャブがオーバーフローしてガソリンが漏れてる!急遽エンジン始動は中止、バイク屋に取りにきてもらった。

 結果、キャブはオーバーホールで約3〜5万円。まあ14年も経つから仕方ないけど、金銭的にかなり痛い。他に事故の部分を見てもらうが、カウルとステー、タンク、リア・ウィンカー交換などで出てきた見積もりが16万円ちょい!ちょっと絶句してしまった。9万円くらいかなと高をくくっていたが、ほぼ倍近い。先方に伝えると、やはり驚いていた。今更保険も使えないので困った。しかし、当てたことは事実なのでと請求書を送るように言われた。

 遠慮せずにすぐに直しておけば、向こうも保険使えて迷惑かけなかったなと反省。気を使ったつもりが、グズグズしていたので、かえって印象悪くしてしまった。カウルかタンクか、どちらかを諦めれば10万円切るので、次の日、改めて傷の程度を見に行った。ちょうどキャブが分解してあり、かなりタンクからの細かい錆が落ちているようだ。バイク屋とも話し合った結果、タンクは新しい物にしないと、キャブをオーバーホールした意味が無いとのこと。カウルはちょっと割れて、傷もいってるが、自分で塗れないことはなさそうだ。といことでカウルの交換を断念した。

 このバイク、生産中止になってから3年ほどだけど、もう在庫の無い部品が結構あるようだ。実際私の色のアッパー・カウルは、メーカー在庫で後2個だけらしい。だから、もしも壊れた場合、カウルの交換が今後できないことになる。実際買いだめしている人もいるらしい。どうしよう・・・しかし6万ちょいのカウル、物入りの今在庫だけでもつのは無理。

 最初は、もう古い単車だから、ちょっとくらいの傷はいいかなと思っていた。ところが、もう在庫が無くなる。無理言えば自分の懐は痛まないと言うことを考えると、人間欲が出てくるもんだ。とっても欲しくなってきた。しかし、今回は自分への戒めの意味も込め、カウル抜きの請求をすることを先方に伝えた。相手の社長は、案外あっさりしているので「前のままの請求でもいいです。ただ、もっと早く処理してほしかったけど」と言ってくれた。唇の先まで「じゃあ、前のままでお願いします」と出かけてたけど「いや、グズグズしてご迷惑をおかけしたので・・・でも、タンク分だけお願いします」と行って電話を切った。そして・・・激しく後悔した。そのまま出してもらえば良かった・・・。でも、保険での処理なら、次の年以降数万円の出費で済むところを、10万円近くの実費で対応してくれるんだから、自分としても丸儲けはいかん、と納得しよう。(T.T)

 しかし、キャブのオーバーホールにバッテリー、ブレーキ、エンジンオイル、クーラント、プラグ交換。それだけで8万円は固い。ブレーキパッドも交換するとプラス1万5千円。ユーザー車検でも、自賠責や税金などで3万円ほど。同じく、放っていた妻の単車も整備に出したので、それが多分5万〜6万円。はぁ〜。エアコンもまだ買ってないし・・・暗いCry・・・。

You Tubeで観る(極狭い)あの頃のスペイン歌謡「El Ultimo De La Fila」2006年10月14日

Manolo Garciaは、だんだん細川俊之に似てきます。

 我がしりとりライバルジャスミンさんのblogからのパクリコラボ企画「You Tubeで観る」シリーズ。ここでは80年代に活躍したスペインのアーティストを紹介しよう。スペインのアーティストについては、以前MFCの「みんなの名盤」に投稿したこともあるので,そちらも併せて見てください。

 さて、第一回目は「El Ultimo De La Fila」です。

 1985年にデビューしたエル・ウルティモ・デ・ラ・フィラは、ヴォーカルとギターと言うB'zのようなユニットです。残念ながら,1998年1月13日火曜日に解散していますが,民族色を取り入れた曲調や歌い方など,かなり個性的で、伝説のグループと呼ばれています。今はそれぞれソロとして活躍しているようです。

Cuando el mar te tenga
イントロからシータールのような音色が特徴的な曲。その後ろに聞こえる「ドゥワ〜」って言うベースか、はたまた特殊な楽器も面白い。映像は,なんじゃこりゃ?って感じだ。

Querida Milagros
彼らお得意のスパニッシュ・ギターを使った曲。

Mi Patria En Mis Zapatos
これぞ「哀メロ」って言う名曲です。

Dulce Sueno
アラビアっぽい旋律を,上手くロックに仕立て上げてます。

Musico Loco
これでもか!ってくらいコブシ効かせて歌ってます。

llanto de pasion ケーナを使ったジャスミンさんが好きだと言った曲。

 長年彼らのファンをやってますが,映像を見たのは、このYou Tubeが初めてでした。ああ、一度ライブを観てみたかった。

 しかし、始めてみて気がついたが,曲の紹介書くのって苦手だった。続くのか,この企画。でも、用意は済んでいるし・・・。

ロジャバリン・ナイト2006年10月15日

雲よ,お前もダメだしか・・・

 14日(土)は、子供と動物と自然を愛するロジャバリンさんプロデュースのクイーン・セッションに行ってきた。一応ライブレポだが,書くのは自分のことだけ。

 「ロジャバリンを王女と呼ぶ日」と題されたこのセッション。クイーンではなく,あくまでプリンセスなのだそうだ。女王はちらさん、Brendaさんといるから、そう呼ばせていただこう「Her Royal Highness theプリンセス・ロジャバリン」。しかしこの日は,手作りのパウンドケーキを用意したり、後でお披露目のびっくり企画など,仕込みも十分の楽しいセッションだった。自分のプレイを除いては。

 当日は,いつものように子守りで、到着が8時前になった。もう第一部もほとんど終わりかけ。マットさんが水色スペシャル?と噂のデジ・テックの新兵器で演奏している。アンプとの相性を心配していたようだが,ちゃんとブライアン・メイの音になっていた。さすがだ。私の出番は,到着が遅くなるのがわかっていたので,第二部に固めてもらっている。私のエントリーした曲の順番をみると,「White Man」「Under Pressure」「The Show Must Go On」「Headlong」となっている。あれ?「White Man」と「Head Long」はチューニングがドロップDなので続けて演奏したいとお願いしていたのに・・・まあいいか。だがこれが、その後の悲劇を呼ぶとは思ってもみなかった。

 この日は途中バイク屋で、自分で直すカウルを受け取りに行くために車で出かけた。だから酒が飲めない。そう考えると,やたら緊張してきた。特に最初の「White Man」、曲も知らずに引き受けたが,結構難題だった。まず、最初のヴォーカルとギターだけのパート。フリー・テンポなので,合わせるのが難しい。リハ無しで一発合わせというのは,ほんと冒険だった。ヴォーカルに合わせて行くということで弾いたが,なかなか噛み合ず,ちぐはぐな演奏になってしまった。そして、もう一つの難関、ギターソロ。このソロは,多分アンプ3台にそれぞれ原音、ディレイ1、ディレイ2を振り分けているようだ。それだけなら,普通のロング・ディレイで処理できるが,ソロの最後のフレーズが一つずつ消えて行くところがある。ここは「原音+ディレイ1+ディレイ2」「ディレイ1+ディレイ2」「ディレイ2」となっているのだが,これはやはりアンプを3台とディレイ2台を使わないと再現不可能。全部ストロークで音出しても良かったけど,それでは芸が無さすぎる。アンプ1台とディレイ1台で,どうやったら似た雰囲気になるか,かなり考えた。それなりにやったけど,耳の肥えたクイーン・ファンにはどう聞こえたんだろう。でも、やはりメインはヴォーカル。上手く噛み合なかったことがBrendaさんはかなりショックで「聞き込み不足」とダメだしを食らってしまった。リベンジを誓っていたが,その時は別の人がギターを弾くことになりそうだ。

 この日はマットさんにギターを借りた。本当は自分の楽器を持って行くべきなのだろうが,電車で行く時は子供を妻の実家に預けるので、途中まで荷物が多く,ギターを持って行くことはできない。第二部は、TOMさんと私が交互にギターを担当する。TOMさんは自分のギターをセットしているので,チューニングが変わる私は、マットさんに借りることにした。

 せっかくレスペ&新兵器をかりたのに「Under Pressure」「The Show Must Go On」と散々な出来でがっくり。最後に残った「Headlong」は、去年RAGでやった曲。これもベースとのコンビネーションが肝だが,やり慣れたよっしい☆MFCオーナー、大丈夫と始めたが,なんかおかしい?音が合ってない。ベースと合わせようとするが,開放弦ですらチューニングが怪しい??なんだか無茶苦茶になってきた。どうにも合わないので,演奏中だがギターを変えることにした。私のせいで、演奏は混沌としていて,ヴォーカルのリロイKちゃんも訳わからない状態に。とりあえず壁にかかっているギターをつないで、区切りのわかりやすいギターソロから入った。よく終わったなという感じで終了。聴いていた皆さんにも,一緒に演奏したメンバーにも大変迷惑をかけてしまった。申し訳ない。

 以上,他の人たちはばっちりだったので,自分のトホホだけのレポートでした。しかし!書いておかねばならないことが一つあった。それはロジャバリンさん、ドラムデビュー!「Tie Your Mother Down」「Hammer To Fall」でドラムの席に帽子をかぶったロジャバリンさんが。あれ?っと思っているうちに演奏が始まる。これが初めてとは到底思えない叩きっぷり。相当練習しないと、あんなに叩けない。これは明らかに、先日ドラムデビューした私への挑戦状か??それともcharlyさんへのライバル宣言か???聞けば,バスドラのペダルや練習台も買って練習したそうだ。ペダルなんか,うちのドラマーは持ってこないのに。この前忘れ物市で3000円で売ってたので,よっぽど買ってあげようかと思ったが,別に持ってない訳ではないのでやめたけど。まあ、それだけでも気合いの入り方がよくわかる。しかし今回,わざわざ埼玉から参加の若手女性ドラマーじょにーさん、そしてカネルさんも「私もドラムやろうかしら」と、熱くなるドラムパートに今後注目だ。

 他にもかめむし@mariさんの初ヴォーカルやshinちゃんを思わせるKeithさんが家族で参加、札幌からは、やっぱりjazzさんも。そして初めて見る方が結構多かったのが印象的なセッションでした。そんなに新しい人が来るのも久しぶりだな〜,ロジャバリン,結構やるやん、なんて思った夜でした。

 演奏終了後、カラオケで打ち上げ,10数人いたが,TOMさんとBrendaさんのリサイタル状態。飲み放題のビールがどんどん空いて行く中,車なのでジュースで我慢。そうか、車で行けば,どんなに荷物が多くてもギターも積んで行けたじゃないか、と気がつく。しかし、車で行くと呑めない。う〜ん、やはり酒を取るのが正しいロッカーの選択だろう。

二本の電話2006年10月16日

今日は長く会ってない友人二人から電話がかかってきた。長くと言っても,一人は一年,もう一人は半年ほどだけど。

一人目は,いつも花見と紅葉狩りに行く,前の会社の同僚。同僚と言っても,かなり年は上だ。そろそろ紅葉狩りのスケジュールを立てようという電話だった。ただ、彼女自身10月〜11月の日曜日は,ほとんど予定が入っているので,結局は11月の祭日に行くことにした。上手く天気になってくれたらいいが。それより紅葉はあるのだろうか。まあ、子供追いかけて,紅葉狩りどころではないだろうけど。

花見も毎年行ってたけど,今年はヨースティーがおたふく風邪にかかるなどで、結局行かなかった。普段,会いましょうねと言っても,なかなか機会が無いと集まりにくい物だから,花見,紅葉と決めておくのはいいかもしれないな。

もう一人は東京のvoltyからだった。上京したときには,必ず会っていたが,上京ペースが落ちたのと,最近は日帰りにしたり,親戚の家に泊まったりで,2月以降会ってない。その間にvoltyはトラックに追突され,廃車に。幸い怪我はかすり傷だけだったようだ。今週東京へ行く予定だが,多分日帰り。今年中に一度は会えるかな。

今、ネット関係以外で付き合いがあるのは,この二人を始め,数人しかいない。私は友達が少ないので,もしネットが無かったら,バンドやセッションに参加することも無く、家で誰にも会わずにボ〜っと暮らしていたんだろうな。出会い方も変わった物だ。まあ、昔からの友人と会うペースが減ったというより、ネットで出会った人と会うペースの方が異常に多いだけなんだけど。

死して殻残す2006年10月17日

玉虫厨子って、何匹使っているんだろう?

夏の終わりに、近所の公園に遊びに行ったら、玉虫の死骸を見つけた。何年ぶりだろう、玉虫をみるなんて。最後に見たのは、小学校に入る前か、低学年のとき。校庭の板塀にとまっていた玉虫を捕まえた。カブトムシやクワガタとは違う、その美しい姿に見とれた。嬉しくて、家に持って帰ろうとすると、上級生が「ここで虫捕まえたらあかんのやで」と言うので、渋々逃がしたが、嘘言いやがって!公園の玉虫は、御陵さんの方から飛んできたんだろうか。その体は、他の虫に食べられたのか、きれいな殻だけが残っていた。そのままほっておいたが、持って帰れば良かったかな。

You Tubeで観る(極狭い)あの頃のスペイン歌謡「Joaquin Sabina」2006年10月18日

スペイン国王と握手するサビナ

 好評だろうが不評だろうが、まだまだ続く、ジャスミンさんとのコラボ企画(といいながら、中身の関連全く無し)「You Tube で観る」シリーズ。第二回目はJoaquin Sabina。

 1978年にファースト・アルバムを出したホアキン・サビナ。その独特の詩の世界から、スペインのボブ・ディランと呼ばれることも。フランコ時代は体制に反対し、イギリスへ亡命していたりした。社会派的な歌も多い(と思う)。昔はいい声だったが、90年代後半から酒とドラッグにより(スペインの友人談、しかし90年後半にドラッグってのも???である)、しゃがれ声になってしまった。しかし、それが渋いという人もいる。私は昔の方が好きだ。今でも勢力的にライブをこなし、CDやDVDもリリースして、スペイン音楽界のカリスマ的存在となっている(と思う)。

Asi Estoy Yo Sin Ti
アルバム「Hotel, Dulce Hotel」からの大ヒットシングル。切々と歌い上げるバラードは日本でも受けると思うけど。なぜか映像は出てこない。

Princesa
VISIVERSAと言うグループを引き連れていた頃の曲。まだまだ声はきれい。

Y sin embargo
ジャスミンさんがいいと言った曲。

Entrevista
これぞ本日の目玉!テレビ出演時のロング・インタビュー!!残念ながら、私ごときの語学力では、何言ってるのかさっぱりわかりません。

Entrevista
ロング・インタビュー第二段!その声について話は始まりますが・・・。

 彼のアルバムでは「Hotel, Dulce Hotel」(1987)、「El Hombre Del Traje Gris」(1988)、「Mentiras Piadosas」(1990)あたりが一番好きです。しゃがれ声になってからは、持っていますがあんまり聞いてません。聞き込めば、味が出てくるかもしれませんね。

Urgent2006年10月19日

 今日は朝から雲一つないいい天気だ。ちょっと汗ばむほどだった。午後三時過ぎ、突然携帯が鳴った。これは珍しい、MFCオーナーからだ。普段のやり取りは、パソコン・メールだし、出かけている時や、急いでいる時でも携帯メールでやり取りしている。それがわざわざ電話で連絡をしてくるなんて、なんだろう・・・。もしや、良くない知らせなのか。

 真夜中の電話とか、普段かかってこない人からの電話って、悪い知らせのことが多い。まあよっぽど、それも緊急に連絡を入れたいのだろうから、尋常でないことはわかる。それだけにMFCオーナーからの電話と言うのが、非常に驚きであり、午後のまったりとした時間に一瞬の緊張を走らせるには十分だった。着信画面を見つめている私の手の中で、電話までもが泣き震えている。

 何だろう?数秒考えた後、着信ボタンを押す。「あ、もしもし、メール見ました?」「いや、まだ見てませんけど」昨日は東京出張で、今朝帰ってきたばかりなので、メールのチェックはしてなかった。普段からろくなメールが来ないので、最近メールチェックは2〜3日に一度になってしまっている。なんだろう?メールで良くない知らせと言うと「バンドを辞めたい」・・・それに尽きる。また誰かが辞めるって言ってるんだろうか・・・。それとも異動が決まったとか。まさか、次々に現れるドラマーを見てすっかり自信をなくし、もうスティックを置くなんて言い出すんじゃ?悪い予感が当たらなければいいが・・・。

 いろいろなことが頭の中をよぎった。「いや、まだ見てませんけど、どうしたんですか?」意を決して聞いてみた。もはやパソコンを起ち上げ、メールを見ている暇など無い。一刻も早く対策を練らなければならないかもしれない、いや、それ以上に、文書でなく、言葉で聞いておきたかった。「あっ、まだ見てないんですか・・・」なんか暗い、いったい何が起こったんだ。オーナーは続けた「フォリナーの来日が決定したようですよ」・・・来日?そう言えば、空メールを送れというあれか。昨日その情報メールの返事が届いたそうだ。私は空メールを送ろうか迷って、結局そのまま忘れていた。そう、オーナーがパソメールでも、携帯メールでもなく、電話で一刻も早く知らせたかったのは「フォリナー来日決定」の報だったのだ!ブラボー。

 ああ、悪い知らせじゃなくてよかった。そのすばらしい知らせに喜び、そして、メールで送られてきた情報を教えてもらう。残念ながら、東京公演のみのようだ。場所が、新宿の厚生年金会館それもTwo Days・・・大丈夫か???調べてみると、厚生年金、座席数は2,062もある。我々が、いくらがんばって動員しても2000人は無理だ・・・、いや、全国のフォリナーファンは、東京に集結するに違いない!

2007年3月12日(月)、3月13日(火)
新宿厚生年金会館
開演:午後7時
料金:8,000円

 詳しくはザック・コーポレーションへ。空メールを送った人には、先行予約の権利があるそうだ。さあ!いよいよやってくるFOREIGNER、来年はデビュ−30周年記念。みんなで観に行こうではないか!!

「青春=金がない」のはもう古い2006年10月20日

18日(水)、東京へ出張してきた。今回も日帰り予定だ。以前は、東京の友達と会うために、二三泊していたが、子供に手がかかるようになり、行く回数も日にちも減ってきた。そして、前回と今回は日帰りだ。特に展示会でもない限り、キツいけど一日で回れるスケジュールでもあった。今回も誰にも会わずに帰ろうと思っていたが、前日、夜行バスで帰ることをふと思いついた。

以前はかなり利用していた夜行バス。値段が安いということもあるが、それよりも、私は夜行バスの旅が好きだった。それは、スペインを旅行した時の移動が、ほとんどバスだったからだ。スペインは、今でもそうだが、鉄道網があまり発達していない。中心にある、首都マドリードから放射状に延びているだけである。だから、バスしか乗ったことが無いと言う人も多い。私は旅行のとき、特に宿代を浮かせるために、夜行バスをよく使った。バスでは2〜3時間に一度、10分程度のトイレ休憩がある。たいていが小さな村のバルやカフェテリアで、カフェ・コン・レチェやジュースなどを飲み、村の雰囲気を味わう。夜なら外で満天の星を眺めるなど、ちょっとしたことだがリフレッシュすることができる。日本のバスでも、旅していた頃の雰囲気を少しでも思い出し、楽しめるので、結構バスを使っていた。

しかし、年とともにバスの移動もキツくなってきた。夜行バスはゆっくり寝ることができないので、到着したら結構疲れる。それに昔は、朝6時頃に到着しても、店も何も開いてない。途方に暮れるだけだ。そして、疲れた体で仕事となるとつらい。最近は、出張プランというツアーもあり、往復の新幹線代でホテル付きというのも珍しくない。だから、いつの間にか新幹線で出張するようになった。ところが、このところ夜行バスの運賃がかなり下がって来た。4〜5千円だと言うので、久しぶりにバスにしてみようかな、それにバスだと、出発時間が遅いので、友達と一杯飲める。

そうして、21時50分発の「青春ドリーム号」片道5000円のチケットを買い、久々にvoltyと呑んだ。結局1時間ほどしか時間がなく、次回はもっとゆっくりしようと別れた。そして乗り込んだ「青春ドリーム号」、やっぱり寝られなかった。昼間のバスは寝られるのに、なぜ夜行バスでは寝付けないのか?不思議だ。東京の帰りに、静岡によっていた頃も、必ずバスを使っていた。朝出るバスは4時間ほどで静岡駅に着く。その時はよく寝られたのに。それに、どうもお尻が痛い。ウトウトしても、お尻が痛いので目が覚める。乗って2時間ほどは、やっぱりもう乗りたくないと思った。

結局2〜3時間ほど寝られただろうか。朝6時前に京都駅に到着。バスから降りた人たちは、夜が明けたばかりの人通りの無い街に散らばって行く。その時、新幹線では味わえない「着いた」と言う気分、そして思い出される旅の記憶。また乗ってもいいかな、って気分になっていた。

しかし、「青春ドリーム号」って名前、何とかならないもんだろうか。